二つの夢に見る愛と死と孤独

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昨夜テレビで「ミリオンダラーベイビー」をやっていました。
この作品を映画館で見た同じ頃に「空を飛ぶ夢」も見ている。
二つの作品は、どちらも最後は死ぬ自由がテーマになります。
当時も僕は自分のHPにその感想を書いているはずだけど、
今回は少し違うことを感じたので、書いておくことにします。
それは男と女の感じ方、受け止め方の違いのようなものです。

僕は確かに、性差よりも個性が大切だと思っているのですが、
「ミリオン」の中で繰り返し出てくるポイントの一つとして、
イーストウッドはなぜ女の指導をしたくなかったのか?
ボクシングには勝者もいれば、必ず敗者もいるってことで、
トレーナーは「かならず一度は負けるんだ」と言っている。
この負けたときにどうするかが人生に深みを持たせますが、
こうした孤独に対する覚悟は、男の方が強いように思う。

試合の事故で、全身不随で動けなくなったマギーが死を望み、
イーストウッドがマギーの呼吸チュ-ブを外すときの顔は、
役者は、ここまで深い表現ができるものかと感動する。
女にボクシングをさせたくなかった男の後悔の念と共に、
同じ夢を分かちあったことで繋がった心の深さが見えてくる。
自分の人生を賭けて栄光をつかもうとしたマギーに対して、
男同士ではないが故に、彼は愛情を持ってマギーを死なせる。

「空を飛ぶ夢」では、全身不随の主人公が死を望んだとき、
彼の望みを叶えられたのは、彼を愛した女性だったのだから、
男も女も、同性よりも異性としての愛情の方が生死に近い。
自分の命を賭けてまでも愛さずにはいられないが故に、
その愛に掛けて、相手の死の望みも受け入れるのだろうか。
それではこの二つのケースで、何が違うと感じてしまったか?
僕は、愛によって男を死なせた女は、神に仕えたのに対し、
愛によって女を死なせた男は、絶望に沈んだように思うのです。

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