「わが悲しき娼婦たちの思い出」

久々に刺激的で面白く、示唆に富む小説を読みました。
2004年にガルシア・マルケスが書き下ろしたものを、
今年の9月末に、新潮社が翻訳出版したものです。
題名は「わが悲しき娼婦たちの思い出」となっていて、
川端康成眠れる美女」の冒頭が頭に引用されていました。

そしてこの小説自体も、
「満九十歳の誕生日に。うら若い処女を狂ったように愛して、
自分の誕生祝いにしようと考えた」
と刺激的に始まります。

主な登場人物は、年老いて娼家を営む旧知の女と、
やっと女らしい体になったばかりで男を知らない美しい娘、
そしてこの娘に恋をしてしまう90歳の老学者だけ。
この老人の恋心が、なんとも言えずにせつないのですが、
小説を読んでいて思い出すこともいくつかありました。

この老人が美しい娘の裸体を見て恋をしてしまうことだって、
どうもその、どこまで真実味があるのかわからないところへ、
まだ10代半ばの娘が90歳の男を好きになるはずがない。
そう考える一方で、思い出すこともあったのです。
それは僕がまだ20歳の頃に初めて沖縄へ行ったときに、
宮古島から伊佐浜へ向かう連絡船で美しい女子高生と出会い、
その娘の彼氏が60歳ほどの男性だと知ったときに、
僕は自分が持つ常識の無意味さを思い知らされたのです。

その後には、僕自身が40代半ばにして、
20歳の娘を連れて沖縄へ逃避行したこともあるし、
ダイビングで知り合った女医さんはこともなげに、
男と女の関係はSEX出来るか出来ないかであって、
年齢なんか何も関係ないでしょう、と明言しておられた。

「人は自分の内側から老いを感じるのではなくて、
外側にいる人たちがそう見なすだけの話よ」
娘を思うあまりに自分の年齢を恥じはじめた主人公を、
娼家の老女はそう言葉を掛けて力付ける。ここには
彼の援助を必要とする「貧しい娘」の設定はあるけれど、
娘と心を通じ合わせて幸福になる、男の本質が押さえてある。

死を前にしてこそ、本当に大切なものが見えてくる。
その大切なものをしっかりと捕まえることに遠慮は要らない。
この小説の持つ毒は夢のようにロマンチックでありながら、
それが90歳を過ぎて死に近付いた男の叫びであるところが、
なんとも不気味な、この小説の恐ろしさでもあるようです。