「父親たちの星条旗」

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月に一度の映画ファンサービスディは、
そのとき公開されている映画を全部チェックして、
一番みたい映画を選ぶこと自体が楽しみです。
今回は「父親たちの星条旗」を選んで見に行きました。
戦争映画は基本的に大キライなので見ませんが、
来月公開される続編の「硫黄島からの手紙」と合わせて、
一つの戦いを双方から見ようとする試みに引かれたからです。

イーストウッド監督に対する信頼もあったでしょう。
その期待通り、この映画には生身の人間が描かれていました。
戦後かなり過ぎてから生まれた僕でさえも見たことがある、
硫黄島のすり鉢山にアメリカ国旗を立てる有名な写真。
そこに写っている6人のアメリカ兵を追うことによって、
個々の人間にとって戦争が何であるかを考えさせる映画です。
戦死していく若者は悲惨で惨めなものですが、
英雄として生き残る人間にさえ過酷な試練が残る。

この映画では、硫黄島作戦を評価しても意味がありません。
「もっとこうしておけば良かった」と言う問題ではなく、
こうなるべくしてなった戦争の本質を見つめることで、
人々の心中にある幻想を打ち破ることに意味があるようです。
生き残って英雄とされ、募金活動に利用された若者は、
自分たちの心を殺すことによってしか役に立たない。
正義のため、勝利のために戦地にかり出される若者にとって、
自分に出来たことは、結局利権者を太らせることだけ。
そのどこに命を賭ける意味があったのかわからないのです。

ここにはアメリカの特殊な事情として人種差別とか、
募金活動に利用される惨めな姿などが描かれていますが、
同じようなことは、多かれ少なかれどんな国家にもあります。
ほとんどの個々人は、誰も戦場なんかに行きたくない。
そもそも戦争などやりたくないのに、国家は押し付けていく。
そして自由意思とは無関係に兵士として送り出され、
多くの若者が心身をズタズタにして死んでいくのです。
闘う兵士はそこから何を得るというのでしょうか?

戦争に勝敗があるとすれば、戦争しないことが勝利であり、
ひとたび戦闘が始まってしまえば、それはずべて敗北です。
人はその敗北の中でも、なんとか自らを生きようとする。
この映画は、戦争に関わるそうした個々人の姿を描きながら、
我々に対して、「何をやっているんだ!」と訴えてくる。
これだけ優れて人間性豊かな若者を戦争などで壊すな!
政治家や軍人に自らの生き方を任せてはいけない、
そのような状況を作ってはいけないのだと訴えている。
続編も必ず見てみようと思いました。