「赤い橋の下のぬるい水」

今村昌平監督が亡くなって、
彼の最後の作品がこの異色作となった。
公開当時には見ていなかったので、
TUTAYAで借りてきて見てみたら驚いた。

舞台は富山県の氷見に実在する橋の周辺で、
しかも、この映画がテーマにしている内容を、
僕はつい先日遊びに来た女友達と話していた。
男と女の肉体関係に人生で一番大切な何かがある。
と言うより、それ以外に何があるのか?と問い掛ける。

ブルーテントの哲学者が残した言葉は、
赤い橋のたもとにある家に宝物を隠した話し。
壺の中に黄金の仏像を隠したと聞いた陽介は、
失業の憂き身でふらりと氷見の家にやってくる。
そこで出会った女の不思議な肉体が意味するもの。

ややファンタジックな装いを見せながら、
この映画には、他の今村昌平作品と同じように、
抜き差しならない人間の業のようなものが見え隠れして、
人間とは何か、人間にとって幸福とは何かを問い掛ける。
それが漁師町氷見の姿によくマッチして見えた。

いやいや、そんな頭で考えることさえ、
今村昌平はこの映画を通して否定していく。
「あんたは頭で考えすぎる」と繰り返し言われ、
常識を打ち破る突破口としても女の体が登場する。
そこに日常も非日常もあることを監督は知っている。

常識で考えれば笑っちゃうような潮吹きの女。
それさえも本人には深刻な日常であり、悩んでいる。
このマンガチックな状況こそ、ありのままの人間なのだ。
女をびしょ濡れにして溺れる男の幸せがここちよく、
なんだかこちらまで幸せな気分にさせてくれる作品だった。