「自然とどう向き合うか」

富山県生涯学習カレッジや、
砺波地区市教育委員会などが主催する、
砺波地区教養講座の今年度第1回目の講座に参加した。
「自然とどう向き合うか(今日的課題から環境を考える)」
と題した、富山大学名誉教授の長井真隆さんの講演だった。

なにしろお役所がやることだから、
やたらと前置きが長いので省略するけど、
内容はとても面白くて親しみの感じられるものだった。
話しはまず2年前の熊騒動のことを振り返って、
富山県新潟県は日本で最も自然林の残っている場所で、
里山の荒廃が熊の被害を拡大したわけではないと説明された。
むしろ富山県では熊が増えている可能性が高いとのこと。
そこに熊の好む木の実がなる樹木を増やすのは、
熊の増殖を促すようなもので危険だとも指摘される。

ブナやナラの木がいくら多くあっても、
10年、あるいは16年ほどの周期で実のならない年がある。
それは樹木が害虫などを駆除するために一斉に起きる現象で、
虫は遠くに移動出来ないので滅んでしまうけど、
熊は移動出来るので、餌を求めて山里に出現してしまう。
こうした年は事前にわかるので人が注意するしかない。
それを単純に熊の餌を増やそうとして植林すると、
それらの木が実を付ける頃に熊が大量に増えて、
その次に実のならない周期に入ったときには、
必然的に大量の熊が人里に現れると警告するのだ。

炭焼きに使っていた灌木林が使われなくなると、
森は少しずつ植生が変わって密度の高い暗い森になる。
それは決して荒廃したわけではなく、自然な森の成長なのだ。
したがって、将来的にどのような暮らしをするかが、
人間と森の付き合い方を考える上でのポイントになる。
文明は自然界から人間に都合のいいところだけを抽出して、
それを利用して都市化を進めてきたわけだけど、
都合のいいところも悪いところも全部合わせて自然なのだから、
イヤなものとも対立せずに共進することが大切だと話された。
蜂も蛾も虫もいない菜の花畑なんて不自然なのだ。

しかも僕らはもう昔の自然な暮らしには戻れないので、
うまく自然と折り合いを付けて暮らす必要がある。
これが環境保全の基本的な考え方なのだと説明された。
会場の客はほとんどがお年寄りだったのが残念だけど、
知的好奇心の「拡張社会」から人格を重んじる「成熟社会」へ、
新しい社会が目指すべきものを説かれていたのが印象に残った。
さらに「飲水思源・母なる大地・物心一如」と挙げて、
いつくしむ心の大切さを説かれたのは、それもそのはず、
この講演は、瑞泉寺の瑞泉大学講座も兼ねていたのだ。

やっぱこの国には仏教の教えが必要なんだと、
あらためてそんなことを考えもした。