「カネを乗りこえる」
30年ほど前に時の人であった中山千夏が、
最近は何をしているのかと思ったら、
「仕事のくだらなさとの戦い」と同じ、
somosomo双書でこんな本を出していた。
「カネを乗りこえる(マンバのカネ批判)」
この双書は佐藤和夫さんと中山千夏さんが、
二人で組んでシリーズ本を企画出版したものだ。
その一冊目がこの「カネを乗りこえる」で、
最後の5冊目が「くだらなさとの戦い」だった。
さて読んでみたら、さすが中山千夏さん。
「カネがすべての世のなかを真っ向から批判する」
としながらも、面白く書くことを忘れていない。
神様マンバが登場して、人の在り方を説いていく。
そんな話を一つのエピソードにしながら、
もう少し現実に即して人間千夏が解説する。
基本的にはそんな流れで話が進んでいく。
マンバはまずお金が人を幸せにしないことを説いて、
市場原理や賃金労働も次々に批判する。
なにしろマンバは神様だから、お金批判に容赦ない。
だけどそのままでは、社会生活している人間には、
接点のない理想論になってしまうので、
適当に千夏さんが神様の言葉を解説してくれて、
そのうちなんとなくマンバの言葉にも納得する。
こうした工夫が、なぜか中山さんらしいと感じたね。
神はカネを見切り、市場を見切り、労働を見切る、
そして千夏さんは、「人間の幸福に重点を置けば、
カネを目的とした義務的な賃金労働よりも、
カネにならない自発的な労働のほうが価値が高く、
その権化たる家事は労働の本道である。」と言う。
千夏さんが言わんとするところは佐藤さんと同じだ。
同じことをイソップ流に言わせてもらうなら、
衣食住の生活を味わうことが労働の本質で、
カネはその手助けをする副産物でしかないってことだ。
この本の冒頭に書いてあるエピソードもいかしてる!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歴史を学んだ学生が眼を丸くして言う。
「驚いたね、なんと、
人間の幸福はカネだと思われていた時代が、
あったんだってさ」
いつかそんな日が必ずくるだろう。
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最近は何をしているのかと思ったら、
「仕事のくだらなさとの戦い」と同じ、
somosomo双書でこんな本を出していた。
「カネを乗りこえる(マンバのカネ批判)」
この双書は佐藤和夫さんと中山千夏さんが、
二人で組んでシリーズ本を企画出版したものだ。
その一冊目がこの「カネを乗りこえる」で、
最後の5冊目が「くだらなさとの戦い」だった。
さて読んでみたら、さすが中山千夏さん。
「カネがすべての世のなかを真っ向から批判する」
としながらも、面白く書くことを忘れていない。
神様マンバが登場して、人の在り方を説いていく。
そんな話を一つのエピソードにしながら、
もう少し現実に即して人間千夏が解説する。
基本的にはそんな流れで話が進んでいく。
マンバはまずお金が人を幸せにしないことを説いて、
市場原理や賃金労働も次々に批判する。
なにしろマンバは神様だから、お金批判に容赦ない。
だけどそのままでは、社会生活している人間には、
接点のない理想論になってしまうので、
適当に千夏さんが神様の言葉を解説してくれて、
そのうちなんとなくマンバの言葉にも納得する。
こうした工夫が、なぜか中山さんらしいと感じたね。
神はカネを見切り、市場を見切り、労働を見切る、
そして千夏さんは、「人間の幸福に重点を置けば、
カネを目的とした義務的な賃金労働よりも、
カネにならない自発的な労働のほうが価値が高く、
その権化たる家事は労働の本道である。」と言う。
千夏さんが言わんとするところは佐藤さんと同じだ。
同じことをイソップ流に言わせてもらうなら、
衣食住の生活を味わうことが労働の本質で、
カネはその手助けをする副産物でしかないってことだ。
この本の冒頭に書いてあるエピソードもいかしてる!
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歴史を学んだ学生が眼を丸くして言う。
「驚いたね、なんと、
人間の幸福はカネだと思われていた時代が、
あったんだってさ」
いつかそんな日が必ずくるだろう。
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