「六ヶ所村ラプソディー」試写会
今回の映画祭で、北陸地区初上映となる、
「六ヶ所村ラプソディー」の試写会をやった。
会場はウイングウイングの映像試写室で、
こぢんまりとした部屋にスクリーンがあって、
プロジェクター上映の出来る快適な部屋だった。
これが1時間600円もしないで借りられる。
いちおう5人用の試写室だけど、今回は、
10人以上の人数が見たけど問題はなかった。
さて映画の方は、ほぼ予想通り期待通りだった。
青森県六ヶ所村になぜ再処理工場が出来たのか?
国や県の政策のまずさをお金の問題で誤魔化して、
最後にはどうにもならない核廃棄物の処理工場で、
先の見えない恐ろしい事態が進行したのだとわかる。
通常の原発でさえ、安全とは言えない代物なのに、
毎日原発の1年分に相当する放射能をまき散らす、
そんな再処理工場がなぜ必要だといえるのか?
人間としての資質や神経を疑わずにいられない。
この再処理工場が村に計画されたときには、
六ヶ所村では当然の如く反対運動が起きていた。
それなのに今では正面切って反対する人は少ない。
かつて反対闘争をした人に対するインタビューで、
「建設される前にもっと反対してほしかった」
というあきらめムードが漂っていたのが悲しい。
この再処理工場がいかに危険なものかを知らない、
職を求める若い人や利権に目のくらんだ人たちが、
選択の余地無く再処理工場を受け入れている。
さらに果てしない危険性を知っている人さえ、
今さら反対してももう手遅れだとあきらめている。
あきらめさせているのが政治だから悲しい。
政治はいったい誰のためのものなのか?
今回の平和映画祭でも「平和」の文字に恐れて、
後援は出来ないと言ってのける役人たちと、
六ヶ所村に再処理工場を建設する役人たちは、
同じく自分たちの利権さえ守ればいいのだろう。
多くの人がどんなに危険な生活に晒されようと、
この国が戦争になって荒廃しようと知ったことか。
ただ利権者の番人となって利益を守ればいい、
そう考えているとしか思えないのが一番悲しい。
「六ヶ所村ラプソディー」の試写会をやった。
会場はウイングウイングの映像試写室で、
こぢんまりとした部屋にスクリーンがあって、
プロジェクター上映の出来る快適な部屋だった。
これが1時間600円もしないで借りられる。
いちおう5人用の試写室だけど、今回は、
10人以上の人数が見たけど問題はなかった。
さて映画の方は、ほぼ予想通り期待通りだった。
青森県六ヶ所村になぜ再処理工場が出来たのか?
国や県の政策のまずさをお金の問題で誤魔化して、
最後にはどうにもならない核廃棄物の処理工場で、
先の見えない恐ろしい事態が進行したのだとわかる。
通常の原発でさえ、安全とは言えない代物なのに、
毎日原発の1年分に相当する放射能をまき散らす、
そんな再処理工場がなぜ必要だといえるのか?
人間としての資質や神経を疑わずにいられない。
この再処理工場が村に計画されたときには、
六ヶ所村では当然の如く反対運動が起きていた。
それなのに今では正面切って反対する人は少ない。
かつて反対闘争をした人に対するインタビューで、
「建設される前にもっと反対してほしかった」
というあきらめムードが漂っていたのが悲しい。
この再処理工場がいかに危険なものかを知らない、
職を求める若い人や利権に目のくらんだ人たちが、
選択の余地無く再処理工場を受け入れている。
さらに果てしない危険性を知っている人さえ、
今さら反対してももう手遅れだとあきらめている。
あきらめさせているのが政治だから悲しい。
政治はいったい誰のためのものなのか?
今回の平和映画祭でも「平和」の文字に恐れて、
後援は出来ないと言ってのける役人たちと、
六ヶ所村に再処理工場を建設する役人たちは、
同じく自分たちの利権さえ守ればいいのだろう。
多くの人がどんなに危険な生活に晒されようと、
この国が戦争になって荒廃しようと知ったことか。
ただ利権者の番人となって利益を守ればいい、
そう考えているとしか思えないのが一番悲しい。