「41歳からの哲学」

池田晶子さんの本はストレートで面白い。
この「41歳の哲学」は週刊新潮のコラムを集めたもので、
もともとは「死に方」をテーマにしたものだそうですね。
「わが国の古神道には、協議もなければ教祖もない。
とくに何を言っているというわけでもない。
言っているのは、神々がここにいるという、そのことだけである。
神々はここにいる。あとは自分でやれ。」
こうした解釈はとても清々しくて好きですねえ。

何が正しいとか正しくないとか、無力感だとか無気力とか、
実はそんなもの、どうって事ないだろうと思っている。
そう、僕もそう思っているから自由になったんだけど、
そこんところをはっきり言える人がなかなかいない。
いや、実は池田さんの著作がそれなりに評価を得て、
どの本もロングセラーになっているのは、
同じように感じている日本人が案外多いことの証明でしょう。
社会の常識なんてばかばかしいものばかりだと、
自分を生きている人はみんなちゃんとわかっている。

「わが国の古神道とは、なんとも自在でいい加減な宗教だろう。
そこが私などには、信頼できるのである。
じっさい、合掌して顔を上げたそこには、何もないのである。
あるいは鏡があるのである。これはすごいことではなかろうか。」
「日本の神様は、いい加減で無責任である。
なにしろ、捨てる神があれば、拾う神もある。
少々の罪ケガレは祓ってチャラにしてくれるのだから、
じつにありがたい神々である。」
いやはやまったくその通りでありまして、
人生は何もしなくても豊かだって事なんだよねえ。