東京から沖縄、そして富山

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もともと映画が好きだった。
富山に来てからガイアシンフォニーの上映会を手伝い、
川口由一さんの映画会を通して石黒さんとも知り合った。
その石黒さんの「自然農を学ぶ会」でまみあなと巡り会い、
様々な活動をする中で「アボン」の自主上映をやった。
てんつくマンを呼んでの自主上映を手伝ったり、
「テロリストは誰だ」の上映会もやった。

そんな流れの中で東京平和映画祭に関わっていく。
去年の春には、第2回東京平和映画祭を手伝って、
そこで知り合った高岩監督に伊江島での上映をお願いし、
そのまま伊江島での平和映画祭を準備して、
夏にはそれを実現することが出来た。
また新しい人の繋がりも生まれた。

そして秋に東京で若者向けの平和映画祭を手伝った後、
北陸でも平和映画祭が出来ないかと考えたのが、
今回の「 ぴーす フィルム フェスタ in 高岡 」に結びつく。
去年の暮れに呼びかけをして、1月に実行委員会を結成。
やるならベストな日程をと考えて5月3日を映画祭にした。

上映作品も憲法改正の動きに合わせて、
日本国憲法を改正するとはどういう事かを考えるため、
映画 日本国憲法」と「ベアテの贈りもの」を用意した。
さらにこの国が抱えている大きな問題を知るために、
「ザ・コーポレーション」と「ジャマイカ楽園の真実」
さらには出来たての新作映画「六ヶ所村ラプソディー」と、
これ以上は望めないラインアップをそろえることが出来た。

ところがここで改めて思い知らされたことは、
平和運動とは必ずしも行政が望んでいることではない、
さらには、多くの一般市民さえ望んではいない事実だろう。
特に富山は石原都政の東京とはまた違った保守王国であり、
沖縄のように平和意識の高い国とはわけが違う。
人々は戦争なんか余所事だと思っているか、
愛する人のために死ぬことが(あるいは敵を殺すことが)
感動的なかっこいいことだと思っている節がある。
人々はいまだに経済成長が住民を豊かにすると信じている。

そこに疑問を投げかけて、新しい価値観を紹介するなんて、
安定を望む人たちにとっては許しがたい行為なのかもしれない。
外洋は大波の嵐なのに、富山湾だけは波風を立てたくない。
そしてこの国は確実に破綻に向かい、戦争に向かっている。
しかも次の戦争が始まれば間違いなく核が使われ、
二度と取り返しのつかない悲惨な汚染が蔓延するだろう。
人類の勝利とは、まず戦争をしないことでしかない。

僕は自分の価値観を人に押しつけるつもりはない。
ただ、多くの人より先に今の社会の価値観に絶望して、
その後に来るべき新しい社会を考え続けた者として、
同じように疑問を感じた人たちが作った映画を見てほしい。
そこに同じ助け合いの暮らしを愛する人がいると知ることで、
絶望から希望へと転換するチャンスが生まれるからだ。

今回の平和映画祭は、そのほんの一歩なんだけど、
理解してくれる人はまだあまりにも少ないかもしれない。
まあもっとも、これが現実だからこそ、
こうした映画祭を催すことが大切なのだろう。
かつての僕がそうだったように、
誰かがこれで救われるかもしれない。
それがこの映画祭の意味だと思っている。