SDGsを考える!(その2)

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SDGsが掲げる17の目標の内、最初の6つは経済の問題で、
貧困、飢餓、健康、教育、平等の問題を提起しています。
世界でも有数の経済大国である日本で、貧困や飢餓など無関係、
と思っている人がいるかもしれませんが、それは間違いでしょう。
マスコミでさえ、相対的貧困と言う呼び名で認めているとおり、
いくら働いても生活が苦しい人が、日本には大勢いるのです。

一見豊かに見える平凡な暮らしで、高校まで学校に通っていても、
無理して見掛けを繕っているだけで、相当苦しい子どもが増えている。
例えばネット情報を検索すると、子どもたちの6人に一人が貧困に陥り、
アルバイトをして生活費の不足を補っている、と言う現実がある。
あるいは40年働き続けて、豊かな老後を暮らせるはずだったのに、
子どもが自立できないで、次第に困窮していく人も多いのです。

ここで見えてくるのは、本来働き盛りの人が働けない現実で、
いわゆる非正規労働者の貧困が、日本の貧困の原因になっています。
問題はこの「働けない」状態が、どういうことなのか理解されておらず、
有効求人倍率などを見て、どうして働けないのか疑問に持つ人がいる。
正社員の求人も多く、仕事を選ばなければ就職できないはずがない、
と考える人がいるけど、はたしてそれは本当なのでしょうか?

就職して正規労働者となった人でさえ、パワハラやセクハラや、
過労による重圧で、心身を病んでいる人は相変わらず多いのです。
そこまでキツい労働はできない、と思っている人たちは、
ほとんど最初から、落ちこぼれるしかないのが現実でしょう。
無理をして仕事に就いてみても、能力以上のことを要求されたり、
叱咤激励が心を傷つけて、心神の衰弱をもたらしたりする。

社会はどんどん高度な仕事を要求して、その要求に追いつけないと、
正規労働者になれないどころか、生きることさえ苦しい貧困に落ちていく。
昔は貧困や飢餓をもたらすのは、戦争や搾取と言うものだったのですが、
今では労働者に過重な労働を要求する求人が、人を差別化して貧困を作る。
能力が無いのだから仕方がない、と言うのはおかしな話しであって、
本来人はそれぞれの生き方で、自分の人生を全うする当たり前があった。

SDGsの項目で13以降に出てくる、生物多様性を守ろうとするのは、
僕らが思い込んでいる「役に立つ」だけではない価値を、守ることです。
それにもかかわらず人間社会において、経済生産性だけが重んじられ、
能力のない者は貧困でいい、健康も教育も格差があって当たり前はおかしい。
そこには価値観の多様性など無いし、本来の豊かさからはほど遠い、
生産性という一つの価値で、人間の価値を決めてしまう貧しさがある。

日本の一番の貧しさとは、こうした多様性を受け入れない社会であり、
一見平等に見える均一化された人々の中に、根強い格差があることです。
ジェンダー平等や質の高い教育でさえ、価値を一本化して見てしまう社会では、
救われがたく差別される人がいることを、僕らは肝に銘じておく必要がある。
6つの目標の中で6番目の、安全な水とトイレの充実だけは達成できて、
それ以外の項目は、問題の本質が理解されていないように思うのです。