ゆるやかな家族

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このところ僕の周りでは、夫婦や家族の在り方が、
今までとは違う様子で、語り合われることが多くなりました。
結婚しても夫婦別姓とか、ライフワークバランスとか、
今までも男女や家族の在り方は、議論されはきていました。
だけどその内容というか、求めるところが変ってきて、
新しい家族や男女の在り方が、実践され始めているのです。

先日教えていただいた、朝日町の自治振興会長さんは、
新しい家族の在り方を、「執着しない家族」とおっしゃる。
この笹川地区というのは、以前は「一村一家」と呼ばれるほど、
地域の住民は繋がりが、家族のように強い地区だったとか。
そんな地域で、「家族」の在り方があらためて問われており、
以前のように親密な繋がりより、適度な距離が求められている。

実はこうした社会的な考え以前に、僕も周りを見ると、
特に仲が悪いわけじゃないのに、離婚した若い夫婦がいたり、
なにも今更、と思う熟年の夫婦が別れることを考えている。
その原因もほとんど、昔なら問題にならない理由で、
お互いの考えや生活の仕方が、相手に合わせるのが難しく、
それなら別れた方が、お互いに気楽に暮らせると言うものです。

そもそも結婚とは何か、何のために結婚したのかと思えば、
いつも一緒に同じ生活をしなくても、必要に応じて一緒に行動し、
普段は別々に暮らしていても、かまわないような気もします。
我が家でも妻の不満は大きくて、僕にあれこれ要求してきますが、
僕はそう何でも要求に合わせられないので、普段は別々に、
必要のある時だけ一緒に行動すれば、それでいいかなとも思う。

あとは生活費の問題とか、お金の使い方に関することで、
それぞれが自立していれば、結婚の形態に執着する必要は無い。
家族にしても男女の役割にしても、確かに問題になるのは、
古い形態に執着して、現実の暮らしに合わなくなったときでしょう。
特に今の世の中、同じ価値観でなければ結婚できないと思えば、
結婚しない選択をする人が増えるのも、わかる気はします。

さらに言えば僕と妻の場合など、価値観は比較的似ていますから、
いつも一緒に行動すれば、仲むつまじい夫婦家族になる・・・
と思うのは大間違いで。お互いに自分のペースで暮らしたい。
同じ事でも人に言われるのはイヤで、自分の思うようにやって、
それでうまくいくときが、最高に幸せなときなのです。
皮肉にも性格まで似ているから、距離が必要だとよくわかります。

ただ僕らの場合は、別々に暮らせるほど経済力は無いので、
良くも悪くも一緒に暮らすことで、少ないお金で暮らせている。
お互いに拘束しない程度に、緩やかな縛りでもって、
最低限の家族の役割をこなせば、それでいいのだと思う。
距離がないと不満に感じることも、適度に距離さえあれば、
ありがたさも良くわかり、お互いを尊重できると思うのです。

家族は○○でなきゃいけないと、かたくなに思い込んだり、
既成の家族像に、執着したりしなくてもいいのでしょう。
もっと緩やかに、思い込みから解き放たれた状態から始めて、
一緒にいたい時に一緒にいて、一人がいい時は一人でいれば良い。
そんな新しい家族の在り方が、昔の妻問婚母系家族のように
制度を超えて出てくるのも、男女が自由になった証かなと思う。