瑞泉寺境内で・・・

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現在井波の瑞泉寺付近では、町並みアートが行われています。
それほど盛り上がりのあるイベントではなく、静かに行われており、
瑞泉寺の中でも、いくつかのイベントが催されていました。
僕は姫を水泳教室に連れて行って、その帰りに寄ってみました。

人の暮らしには変化もあって、なかなか楽しいことばかりではない。
このところの僕は、妻が何故とも分からずぴりぴりしているので、
なんだか居心地が悪く、疲れていても落ち着いて休めません。
もう若くはないので、何か少し頑張ったらそのあとが続かない。

妻にしてみれば、いろいろ僕には不満があるのも仕方ないけど、
僕は僕で妻のやり方を受け入れ、合わせようと努力はしているのです。
しかし男と女というのは、なかなか価値観が同じとはならないし、
感性も違うようで、お互いの思いがうまく相手に伝わらない。

お互いに元々相手が嫌いだったわけじゃなく、好きで一緒になって、
月日が過ぎるとイヤなところが目につくのは、どうしてなのでしょうか?
そんなときもあるさと思っているうちに、イヤなところが気になって、
もう一緒にいたくない!なんて禁句が、思わず飛び出してくる。

何気なく暮らす日々の中で、深く考えもせずに行った行為が、
ひどく相手の心に突き刺さったりすれば、どんな言い訳も通じない。
なんだかなあ・・・と切なくなって、別れても良いかと思ってしまう。
だけど姫にとっては災難で、身の振り方を考えるのでしょう。

ともあれ人間にできることなんて、ほんのちっぽけなことだけで、
たいていの人は心に傷を持って、なんとか息を続けていたりするのです。
そこにグサリと突き刺す些細なことが、二度三度と積み重なり、
外からは見えにくい、内部の深い空洞を作ってしまうのでしょうか。

口を開けば相手を傷つけ、黙っていればまた猜疑心が募るとき、
致し方なく覚悟をするしかない、と思ってしまうのも浅はかなことです。
どうにもならないと知れば、自力でどうかしたいとは思わずに、
ただひたすら、どうありたいかだけを願っていれば良いと思うべし。

久しぶりに瑞泉寺の境内で、夕日に照らされる本堂と太子堂を見て、
いくらか心が安まる気もしたのですが、いつまで続きますやら。
着物で海外を回ってきた人の講演話に、自分の若い頃を重ね合わせ、
人生とは何だったのか、まだ終わってもいないものを懐かしみました。