いつかは終わる・・・

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人生には何かをきっかけに、様々なことが見えてくることがあります。
そしてそこで気づいたことが、その後の人生を変えていくこともある。

僕はあるとき、10㎏のお米を米袋から米びつに入れようとして、
袋が何かに引っかかり、お米のほとんどを台所でぶちまけたことがありました。
僕は少しおっちょこちょいの面もあって、手を引っかけてコップの水をこぼしたり、
袖を引っかけて食器をテーブルから落とし、割ってしまったこともありまして、
その都度自分の不注意にうんざりして、惨めな気持ちで後片づけをしたものです。

ところがその日、しゃがみ込んでぶちまけたお米を片付けているときに、
今までは無駄な時間だと思っていたその作業に、ちょっと違う事を感じました。
ちょっとずつ米を拾い集めながら、その行為が必ずしもイヤでない気がしたのです。
こうして拾ってさえいれば、「いつかは終わる」と落ち着いている自分がいて、
どんな困難やイヤなことも、コツコツやっていればやがて終わるって感じでした。

若い頃は失敗を恐れながらも、思いついたらやってみる性格だったので、
数限りない失敗を重ねながら、無駄なことをたくさんやって生きてきたのですが、
そうしたすべてのことがやがて終わってしまうことに、急に愕然と思い至ったのです。
どんな作業も、そして人生さえもやがては終わってしまうと言う当たり前のことを、
あらためて意識したときに、すべてのことが愛おしく思われてきたのです。

例えば手作業で田植えをしているときに、なかなか作業が進まなかったりして、
ああもうイヤだ!とうんざりしますが、そんなときにも「いつかは終わる」と考える。
それは人生と同じように、必ず終わってしまうことであるからこそ愛おしく、
終わるまでの間をどのようにするかが、とても大切なことだと感じることができる。
「生き方」を大切なことだと思うようになったのは、そんなきっかけからでした。

どんな事だってやがては終わる、だからこそその間をどのように過ごすのか、
どう生きていくのかが、無意識ではすまされない大切なことだと感じられたのです。
僕らには限られた時間しか無いのだから、その時間を無駄にしたくない・・・
時間を少しでも有効に効率よく使いたい・・・・・のではないと言う逆転の覚醒から、
世界に無駄なことなどはないし、すべてのことは無駄でもあると言うことの理解。

人生の意味さえわからずに生きていて、お米を拾うことにうんざりするなんて、
自分には何か理解が不足していると感じたときに、すべてが繋がって見えたのです。
今の時代は物も情報も過剰な時代ですが、そんな環境の中でも僕らは生きていく、
それはひっくり返されたお米と同じで、そのままにしておくわけにはいかないのだから、
コツコツと拾い集めて米びつに入れていくのが、生きることだとわかるのです。

いつかは終わることだからこそ、終わるまでの間が大切なのは言うまでもない。
お米拾いも人生も同じ事で、どのようにするかだけが僕らの課題だったのです。