かげりゆく町?

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南砺市のまちづくりは、今大きな転機を迎えています。
2004年11月に、旧8町村の合併によって作られた、
国主導による合併でしたが、結局は核がありません。
砺波市を含む合併であれば、まとまりが良かったものを、
当時の砺波市長に袖にされ、現在の形態になったのですが・・・

核のない4町4村を、どのようにまとめるのかは、
最初から最大の課題だったのですが、成果はほとんど無い。
「協働のまちづくり」はいいのですが、これにしたって、
地域行政の在り方を変えた点では、大いに評価できますが、
8町村がまとまったわけではないのが、気になります。
そして合併特例債が終わると、地域のエゴがむき出しになる。

それぞれの地域で、小規模多機能自治を目指すのですが、
8町村の中で人口の多い福野と福光では、市民活動も活発で、
観光や農業分野でも、新しい試みが盛んになっている。
また城端では、アニメなどが盛んになる一方古い文化でも、
曳山が文化遺産として、大いに注目されてきています。

元々世界遺産がある平村など、五箇山は固有の文化を持ち、
井口地区では、こぢんまりと小規模多機能を実現しつつある。
そんな中で井波地区はと言うと、実はなんとも心許ない。
協働のまちづくり推進会議の運営委員は、全員で7人いますが、
そのうち井波地区が4人もいるのに、自治振興会は影が薄く、
協働のまちづくり精神さえ、町には希薄な気がするのです。

いろいろ複雑な内情や、この地域の人の気質もあって、
簡単にどうこうなる話しではない、とはわかっていますが、
お祭り一つ取ってみても、井波は廃れてきています。
伝統文化的には立派ですが、よいやさ祭りを例に見ても、
巨大な神輿を維持するがために、余所から人を雇い入れる。

3つの大神輿に、それぞれ50人の担ぎ手を用意すれば、
150人を用意する必要があって、このほとんどが雇用です。
しかも一人3万円近い費用で、膨大な出費なのですが、
そのほとんどは地元に落ちずに、流出するお金となります。
かつては賑わった太子伝も、香具師の店はなくなって、
この町には、賑わいというものが無くなっているのです。

先行きを心配して、立ち上がろうとする人もいるのですが、
井波地区の気質として、新しい人を盛り上げたりしない。
今では小さな町には不似合いな、巨大な瑞泉寺の影に隠れて、
どこまでもひっそりと陰りゆくのが、井波地区と言える。
これからどんな町を目指すのか、今一度考えたいものです。