どこまでも♪

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旅を始めたのは、大学生の時でした。
最初は北海道を旅して、礼文島など回るうちに、
最果ての雰囲気が好きになり、島や半島へ行くようになる。
やがて今村昌平監督の、「神々の深き欲望」を見て、
こんなきれいな色の海があるなら、見てみたいと思った。

当時はちょうど、沖縄が日本に復帰したときで、
与論島沖縄本島へ行って、初めて珊瑚礁の海を見たのです。
南国沖縄の海は、明るいコバルトブルーの色をしており、
北陸や北海道、東京の海しか知らなかった僕にはショックでした。
そしてたまたま、法華教の鈴木僧侶と知り合い、
人の病気を治すと聞いて、止めどなく興味を持つようになる。

僕はそれまでにも、いくつかの超常現象を体験していて、
オカルト的なものに関心があったので、強く引かれたのでしょう。
そこでいったん東京に戻り、しゃかりきにお金を貯めて、
一年間の休学届を出して、再び沖縄に飛んだのです。
僕はまだ20歳を過ぎたばかりで、迷いはありませんでした。

東京のアパートまで引き払って、荷物は兄宅に預け、
当時は主流だった沖縄航路の船で、那覇まで行ったのです。
だけど鈴木僧は見当たらず、人の口伝えで居場所を探し、
宮古島からサラハマまで回って、ようやく坊さんを見つけました。
そのまま頼み込んで、一緒に暮らすようになったのですが、
行動を共にする内に失望して、一ヶ月でそこを出てしまいます。

だけど東京のアパートは、すでに引き払ってあるので、
帰るところもないまま、八重山竹富島へ祭りを見に行った。
そこで泊まった宿のアルバイト男性が、辞めて東京へ戻る、
と聞いたので、これ幸いと住み込みアルバイトを申し込みました。
渡りに船で、すぐに採用されたのは言うまでもありません。

暫くして西表島の宿に移って、アルバイトを続けましたが、
石垣島から台湾航路の船があると知って、基隆へ行ったのです。
まもなく所持金を使い果たして、沖縄へ戻るときに、
知り合った洋服屋の店主から、仕事を誘われて引き受け、
再び石垣島に戻って、しばらくそこで暮らすことになりました。
それから海に潜るようになり、今まで続いているのです。

当時はシュノーケリングだけですが、珊瑚礁のきれいな所は、
せいぜい水深10メートルまでなので、僕は簡単に潜れたのです。
その後はイルカや海亀と、一緒に泳ぎたくなったり、
ヨットで海を旅したくなったり、夢は次々と膨らみました。
海外を旅するようになっても、行き先は島や半島ばかりでした。

時代はバブルとなって、僕も印刷会社に勤めましたが、
その収入はスキューバ用品と、ダイビングツアーに消えていく。
だけど一番好きだったのは、今も行き続けている平野の海で、
イギリス製のキットを取り寄せ、自分たちで作ったディンギーでした。
宿の21フィートのヨットや、組み立てたディンギーに乗って、
平野を中心に、石垣島西表島の海を走ったのです。