伝統神事としての「よいやさ祭り」

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最近の祭りは、観光業界が仕切るものが多く、
庄川などでは堂々と、観光祭りも行われています。
それはそれでいいのですが、本来の祭りは、
地元の氏神様に対する、神事として行われました。
そして井波の「よいやさ祭り」は、現在でも、
古式に則った作法を守り、神事として挙行されます。

これは一見当たり前のようで、その実は難しい、
様々な困難があるようですが、それでも実行される。
例えば祭りの神輿は、1831年ですから江戸時代に、
壱ノ輿と呼ばれる、最初の大神輿が制作されて、
それ以来大切に守られ、現在に至っているようです。

祭り自体は1390年(明徳元年)、井波町が開町して、
3年後の1393年、京都石清水八幡宮より勧進した、
井波町八幡宮により、町建てを祝って始まったものです。
今では廃れてなくなったものもありますが、現在では、
3頭の獅子が先導し、庵屋台、屋台囃子が続き、
傘鉾に続いて子供神輿、最後に大神輿3台となります。

それぞれの順番には、厳しい規則があるようで、
祭礼の起源と同じ年に作られた、山下町の獅子は格上で、
神輿の中では壱ノ輿が、最も格式が高いとされます。
また珍しいところでは、古式の渡御行列が今も行われ、
2人の先祓いに続き、ササラと呼ぶ長い孟宗竹を引きずる。
次に神々の案内役である、天狗の面を付けた猿田彦がが続き、
青龍、朱雀、白虎、玄武の四神旗が続いて、傘鉾が続く。

行列を受け持つのは、何がどの町内と決められ、
この取り決めは、昔から今まで変ることがありません。
さらに早朝から日没まで続く、本祭りに先立って、
井波八幡宮の拝殿や御旅所では、様々な神事があります。
なかでも浦安の舞いは、4人の巫女が舞う伝統的なもので、
観客がいなくても、神様に向けてしっかりと行われます。

こうして伝統神事としての、様々な取り決めを守り、
受け継がれている祭りなので、町内が無くならない限り、
無くするのは難しく、人口減少で厳しくなってもいる。
すでに大神輿の担ぎ手は、井波町中では賄いきれなくて、
各地区の宮委員が、余所から集めて行っています。