覚悟して生きる・・・

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今年は稀に見る大雪に見舞われ、各地で雪の被害がありましたから、
春の来るのは遅い筈と思っていたら、とんでもありませんでした。
3月になると急激に暖かくなって、一ヶ月前には山のようにあった雪が、
日に日に溶けてなくなったかと思えば、この一週間はもう初夏の陽気です。
この季節に暖かいのは有り難い、とばかり言っていられない異常さで、
いずれどこかに、このしわ寄せが来るのではないかと心配します。

僕が子どもの頃を思い出すと、日本の天気の移り変わりは穏やかで、
冬から春への季節の移りは、三寒四温で暖かくなると言われていました。
ところが今年の移り変わりを見ていると、大雪極寒が三日後には、
突然初夏のような陽気で、雪が見る間に溶けていく変りようでした。
地球上を世界的に見ても、極寒極暑のニュースが後を絶ちませんから、
何か大きな変化が始まっていることは、想像に難くないでしょう。

この先何が起きようとしているのか、想像するのは難しいのですが、
自然界においても人間社会においても、急激な変化があっておかしくない。
そんな時代であっても、人は自らを生きる以外に道はないのですから、
僕は僕なりの暮らしで、より良い明日を求めて生きていくしかありません。
幸い日本人には、どんな過酷な状況であっても平常心を善しとする、
昔からの教えがあって、多くの人はそれを深層的に身につけています。

大災害に遭っても、諸外国の人から見て不思議なほど冷静なのは、
日々の暮らしは仮の姿でしかない、と言うような達観がどこかにある。
もちろん身近な人が亡くなったりすれば、気が狂わんばかりに嘆きますが、
それもまた人生と思う達観は、必ずどこかに潜んでいるのです。
日々刻々同じときは二度と無い、万事諸行無常の教えもありますから、
ああついに今度は自分の番か、と思ってあきらめる気持ちがあるのです。

恵みも多ければ天災も多い国土で、恵みは有り難く受け取りながら、
心のどこかには、災いに対して覚悟して生きる心構えのようなものがある。
僕などは若い頃から、そうした覚悟は人一倍強かったように思うし、
だからこそ何が待っていようと、自分で決めた道を行く決心も出来た。
もしもあらゆる日常が、すべて階段を上がるようにしかないと思ったなら、
大きなリスクを負って冒険することは、無謀としか思えなかったはず。

だけどいつどんな時にも、次に何が起きるかわからないと思えば、
自らの望む方へ向かって一歩でも進んでみたい、と思うのが命でしょう。
気がつけば僕の生涯は、少なくとも今までのところそのように生きて、
一年一年毎年違う暮らしがあって、還暦を積み重ねてきたのです。
心身共に過酷な状況にあったときも、孤独に苛まされたときも、
自分が選んだことだから、すべては覚悟の上だったと言えるでしょう。

記録があるときもないときも、作品を残したときも残せなかったときも、
生きることに絶望して、神への祈りに救いを求めたときでさえ・・・
僕は必ず救いを見つけることが出来た、それは何だったのか?
僕が身に起きたすべてのことは、全部繋がって僕を見守っていた。
せっかくこの世界に産まれて、今を生きているのであればこそ、
死を覚悟してこの命を活かす、大きな覚悟だけは必ずあったのです。