小粋な金と、いなせな銀

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奇しくも一千個目となった、羽生結弦の金メダルですが、
数あるオリンピックドラマでも、今回は格別なものでした。
オリンピックの記録的にも、フィギアで二連覇したのは、
66年ぶりと言いますから、これだけでも凄いことでした。
前回金メダルの羽生は、怪我からの復帰第一戦と言う挑戦で、
新たに宇野昌磨も加わって、高レベルの闘いだったのです。

この闘いのさなかで見えたのは、技術を超える何かであり、
技術だけであれば、フェルナンデスも決して劣ってはいない。
それどころか、惜しくも4位だった金博洋選手(中国)や
フリー演技で1位だった、ネイサン・チェン選手(米国)など、
すでに4回転のジャンプは、当たり前の時代になっています。
その中でトップに立てたのは、なぜだったのでしょうか。

特に羽生選手を見ていて思ったのは、音楽との一体感で、
技にぎこちなさを感じさせない、全体の流れの美しさでした。
衣装が和を感じさせたこともあって、優雅な美を漂わせ、
日本人が受け継いできた文化の何かを、体現していたのです。
僕はその自然な美しさを、「小粋な」と表現してみるのですが、
すると宇野選手は、「いなせな」と表現したい気がします。

優雅に出来上がった小粋な羽生選手に対して、宇野選手は、
勢いが強く、いなせなお兄ちゃんの躍動を感じたのです。
日本人の美意識の中には、自然を損なわないことを善しとし、
その中で人の所作は洗練されて、一つに風景にもなった。
匠が作る建物も、細部まで自然に拘って作られており、
そんな細部を含めた体が、自然に溶け込む美を作るのです。

羽生の無駄のない動きや、細部にまで常に美を目指す姿が、
あのなめらかな動きとなって、あらゆるシーンを美しく見せる。
宇野選手はまだそこまでは行かず、だけどFSの後半では、
最初の転倒ミスを契機に、突如としていなせな躍動感が出た。
昔の江戸っ子が見せたような、え~ってらんねえや的な、
開き直りが、彼を自然の中に生き返らせたかのようでした。

今日はきっと世界中で、羽生選手の演技が映し出されて、
多くの人が、その優雅さに酔いしれることでしょう。
だけど彼の本来の演技は、今日の演技の程度ではなくて、
さらにこの上にあることを、僕らは喜びを持って断言できる。
それがある限り、また次のオリンピックだって楽しみで、
年齢的に見ても、史上初の3連覇も夢ではないと思うのです。