降誕を祝うミサ

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僕が通った大学は、ミッション系でチャペルがありました。
在学当時は宗教への関心は薄く、ミサに参加したことはありませんが、
キャンパスにチャペルがあることで、心に一定の余裕がありました。
学内で学生運動のデモがあったときに、僕は放送研究会の一員として、
マイクを持って、デモの取材に行ったことがあります。

「おまえはどこのセクトの者か?」と聞かれ、
どこでもないと答えたら、「信仰でもあるのか」と言われた。
僕は社会学部の社会学科で、主にマスコミを学んでいましたけど、
イデオロギーと信仰の関係を、必ずしもわかっていたわけではありません。
だけどイデオロギー的に中立である根拠に、信仰を持ち出せば、
それで何かが許される、免罪符的なものを感じていたのは事実です。

宗教や信仰が、社会の矛盾や不正をただすための核になる、
漠然とそう考えていたのが、オウム事件ですべてご破算になった。
あの事件がなければ、日本はもう少し精神的に豊かな道を進んだかも知れない。
だけど現実において、人々は宗教的なものから距離を置いて経済に走り、
比較的安全ではあるけど、精神的な核のない社会になりました。

混乱した現代社会を、宗教者はどう見ているのか?
クリスマスのミサにおいて、教皇フランシスコが行ったミサから、
こんなくだりがあったので、皆さんに紹介しておこうと思ういます。
バチカンの聖ペトロ大聖堂で、主の降誕を祝うミサを捧げられた、
2015年12月25日の記録から、一部抜粋しておきます。

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 この幼子は、わたしたちに何が本当に人生で大切かを教えてくれます。
 幼子イエスは世の貧しさの中に生まれました。
 幼子とその家族のために宿がなかったからです。
 彼らは馬小屋で夜露をしのぎ、幼子は家畜のためのまぐさ桶に寝かされました。
 それにも関わらず、この何も無い所から、神の栄光の光があふれるのです。
 ここから、心の素直な人々にとっての、真の解放と永遠の贖いの道が始まるのです。

 消費や享楽、豊かさや贅沢、見かけや自己陶酔に浮かれがちな社会において、
 幼子イエスは、節制した態度、すなわち、簡素で、均衡がとれ、
 首尾一貫した、本質的な生き方をわたしたちに示しています。

 しばしば罪びとに対して厳しく、罪に対してはルーズな世界にあって、
 強い正義感を育て、神の御旨を実行する努力が必要です。
 無関心で、時に容赦の無い文化の中で、わたしたちの生き方はこれに対して、憐れみと、
 共感、同情、いつくしみに満ち、祈りの泉から毎日汲み取ったものでなくてはなりません。
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今ここに生まれてあることの豊かさを忘れ、欲望に執着するあまりに不安となる、
自ら進んで不幸になる人が、いかに多いことかと悲しく思うのです。
自分の不足するものをあげつらい、あれが欲しいこれが欲しいと言っては、
少しでも多くの物やお金を得ることが、豊かになることだと勘違いする。
降りかかる欲に囚われずに生きることが、いかに困難なことか、
次々に欲に襲われる我が身だからこそ、わかると言えるのかも知れません。

故郷を振り切り、親の望みを振り切り、学歴や就職を我が事とせず、
20代のすべてを旅に費やして、得た物は何だったのかはわかりません。
その後に仕事に就いて、100人以上の人を使ったこともあり、
安定した収入で、若い女性を彼女にして何不自由ない暮らしもしたはず。
それなのに何かが満足できなくて、やがて身体の方が悲鳴を上げた。

そしてまた一人で、自立を目指す暮らしに入って落ち着いたら、
60歳にして家族が出来て、貧しく質素に満ち足りた暮らしになった。
この感覚を人に伝えるのは難しいけど、自然農は一つの契機になると思い、
あと何年続けられるか、コツコツと米や野菜を育てているのです。
クリスマスのこの日に、すべての人の幸せを祈りながら・・・