福野高校同窓会

イメージ 1

以前から時々行われていたらしい、福野高校の同窓会ですが、
僕はずっと参加したことがなくて、今回初めて参加してきました。
姫の相手をしていて、ちょっと遅れて会場へ行きましたら、
予想したことではありますが、顔を見ても誰が誰だかわからない。
15人ほどの参加者で、すぐにわかったのは3人だけでしたが、
順番に自己紹介があって、次第に思い出すことが出来ました。

井波に住所を戻したのは、2000年のことでしたから、
それからもうすでに、17年の月日が過ぎたことになります。
その間には、中学高校の同窓会に誘われたことがあるにも関わらず、
あまり気乗りがしないで、別の市民活動などに顔を出していたのです。
中学の同窓会メンバーは、住んでいる範囲が狭いですから、
普段でも顔を合わすので、次第に何らかの交流も出来てきます。

だけど高校時代の同窓会メンバーは、住んでいる範囲が広く、
意識して会おうとしなければ、まったく合わないままに月日が過ぎる。
今年から年金生活になる人が多く、暮らしぶりも変るでしょうから、
ここらで一度、みんなに会ってみておきたいと思ったのもある。
と同時に、いつしか一人二人とこの世を去る者がいたりして、
自分も含めて、二度と会えないかも知れない気持ちもありました。

さらに言えば、となみ野で自然農を始めて16年になりますが、
同級生で農業をやっている人、関心のある人にも会ってみたかった。
そんなこんな気持ちは、友人の中に終活を考えている人がいて、
自分もそんな年なのかと思い、同じ年の人たちが気になったのです。
以前から仲の良かった人ばかりではなく、様々な思いもあっても、
年月はすべてを押しやって、オブラートが掛かっていくのです。

久しぶりの同級生は、皆同じように昔のカラが抜けていて、
すっかり人の良いおばさんおじさんに、なりきっていたのです。
昔の思い出話などはほとんどなくて、今の世間話をしながら、
こうした交流こそ、本当の市民活動なのかも知れないと感じました。
NPO活動やボランティア、そして行政へのコミットなど、
いわゆる市民活動だけが、市民による活性化ではないと言うこと。

ほぼ50年前に、青春の真っ只中で知り合った同窓生が、
長い年月を経て、こうして集うことはやっぱり楽しいものです。
すでに死期が近づいていれば、人生の真実も見えるだろうし、
その感覚の中から、あらためて生を見つめ直すのも良いかもしれない。
50年前の恋心や冒険心なども、密かに思い出しながら、
楽しい3時間を過ごして、お酒もたっぷりいただきました。