映画「あん」

イメージ 1

小説「あん」の著者であるドリアン助川が、この作品の映画化に対して、
「この感覚を撮れるとしたら河瀨直美監督しかいないと思いました。
 運命の人を演じられるとしたら女優樹木希林しかいないと思いました。」
と言ったとおりに、河瀬直美が監督して、樹木希林が演じて作られた作品です。

僕はこの映画を、妻が図書館で借りてきたDVDで見たのですが、
見始めたときは寝転んでいたのを、途中から寝ていられなくて起き上がり、
最後は正座して、緊張しながら見終えたことを告白しておきます。

ライ患者として収容所に隔離収容された徳江が、究極の逆境にあっても、
生きることを捨てずに、おのれの人生に花を咲かせようとした物語ですが、
これを樹木希林は本当に自分のことのように、淡々と演じてみせる。
そしてこの主人公を照らしてみせる、もう一方の主人公が永瀬演じる千太郎で、
こちらも少ない台詞ながら、心に感じていることを伝えてくれるのです。

この二人のやりとりや変化に、常連客の女子高生が絡むことで、
物語は高尚になりすぎないまま、僕らの日常に深く入り込んできます。
満開の桜の下で、どら焼き屋の千太郎に仕事がしたいと話しかけてきた徳江は、
ある日に自分が作った「あん」を持ってきて、千太郎に食べさせる。

千太郎はこの「あん」が美味しかったので、徳江に働いてもらうことにします。
美味しい「あん」を得て、お店は繁盛するのですが、やがてある噂が広まり、
次第に客足が遠のいて、お店には誰も客が来なくなってしまいます。

徳江は噂通りに、ライの収容所に住む患者の一人だったのです。
ライ患者は今ではハンセン病患者と言われ、治療も進んで伝染もしないのに、
手足や顔の奇形から、今でも怖がる人が大勢いるのが現実でしょう。
しかも長い間の収容所生活で、子どもを持つことも許されなかったから、
家族の温かみも知らないまま生きて、今も収容所にいるのです。

理不尽な世間の扱いにもめげず、明るく元気に生きようとする徳江に、
何の落ち度もないはずですが、現実の人々の視線は決してやさしくはない。
千太郎はそんな徳江に心を動かされ、おのれの生き様を振り返るとき、
一度は自暴自棄になりながらも、やがて徳江の訴える言葉に蘇るのです。

「私達はこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。
      この世は、ただそれだけを望んでいた。
 ・・・だとすれば、何かになれなくても、私達には生きる意味があるのよ。」

とんでもない指導者が牛耳る世の中で、わけのわからない価値観に振り回され、
そうかと言って人生をやめるわけにも行かず、打ちひしがれる人たちに。
せっかくこの世界に生まれたのだから、ただ味わって生きれば良い、
と暖かく応援してくれる、この作品こそほのぼのと味わい深いのでした。