ある恐怖による統治
子どもの頃に恐れていたことの一つに、「異常」があります。
なぜ異常であることを恐れたのか、いくつか理由があるのですが、
一つ鮮明に覚えているのが、高校生になって間もない頃のこと。
道徳か何かの授業時間に、ちょっと変ったことを言う人がいたのですが、
先生がその人のことを、「精神病院行きになるよ」と言ったのです。
あまり人と違う事を言うと、精神病とされて隔離されてしまう。
僕は人と違う意見を言うことが多かったので、先生の言葉は恐ろしく、
それ以来長いあいだ、人と違う考えは表に出さないようにしてきました。
文学作品や映画などの作品を通してなら、自由に表現できても、
現実社会の中で人と違う意見を言うには、相当の覚悟がいったのです。
日本人は単一民族だとか、他の民族にはない統一された感覚を持ち、
一糸乱れずに行動する、たぐいまれなる民族とよく言われます。
だけどそうなるには、何かカラクリや仕掛けがあるはずなのですが、
僕に言わせればそれは、人と違う事を「異常」として隔離する、
隔離されたくないから、うまく人に合わせる術を身につけたと言うこと。
あるとき日本の精神医療の実態を知って、やっぱりそうだったのか、
と思う事がありましたので、その実態を少し紹介しておきます。
その人たちの実情を知ると、日本の特殊な精神医療の実態が見えたのです。
先進国では平均在院日数が18日なのに、日本ではおよそ280日。
さらに日本で特徴的なのが、1年以上入院している患者が8万5千人いて、
もっと驚くべきは、5年以上の長期入院者が10万人もいると言います。
これは明らかに「異常者を隔離する」ことで、社会を均一化する、
暗黙の均一化政策と言えるでしょうし、実際かなり多くの人が、
異常とレッテルを貼られることを恐れる、大きな要因になったのです。
それではこの人たちは、本当に隔離する必要があったのかと問えば、
ほとんどの人が、入院治療の必要もない人たちだったというのです。
30年以上の長期入院患者が、何十人もいたにもかかわらず入院の必要がない、
だけど原発事故がなければ、自分の意思では退院も出来なかったでしょう。
世界的に見ても、日本に特別な精神異常の患者が多いわけではなく、
日本社会には独特な風習があって、「異常者を隔離する」文化があるのです。
多くの国々では、そうした風変わりな人も社会で一緒に暮らしており、
ユニークであるとして理解され、受け入れられてもいるようです。
こうした異端を隔離することで、日本人はみな同じだと言っているのです。
あからさまな暴力による統治なら、否定する人は多いでしょうけど、
人と違う意見を白い目で見て排除するのは、必要だとさえ思っている。
まさにいじめと同じような構造を、精神医療が担っていたのです。
監獄に送られたと同じように、何十年も精神病院に閉じ込められた人は、
どんな思いで人生を見つめてきたのか、なんともやるせない気持ちがします。