時間をどう使うか
今朝は久しぶりに雨なので、農作業には行かず、
家にいてゆっくりと、パソコンに向かっています。
ちょうど今年は、高齢者になったこともあって、
人生全体を振り返って、様々なことを考えたりする。
そんなときに、親しい人の言葉を思い出すと、
何人もの人が、僕を幸せ者だと言ってくれます。
儀礼的にそう言ってくれる人も、いるでしょうが、
本気で言う人もいるので、その内容を考えてみました。
すると必ず言われるのが、自由に生きてきたことと、
今現在になって家族を得て、生甲斐があること。
たしかにこの二つは、僕自身も大いに感謝しており、
まだ終わっていないにせよ、良い人生だったと感じます。
しかし世間一般の価値観からすれば、僕は脱落者で、
何一つ財産らしいものも残せていないし、貧乏生活者です。
こんな僕を「羨ましい」とさえ、言う人がいることは、
今の社会的な価値観を、よく反映しているのかも知れません。
そもそも幸せとは何なのか、この命題に対しては以前から、
何度も考えを述べてきましたが、少なくともお金ではありません。
以前よく騒がれた、ウルグアイのムヒカ前大統領は、
心に残る言葉を、いくつも残してくれています。
「幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。
物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ」
「君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。
そのお金を得るために使った『時間』で買っているんだよ」
日本では今でも、有名大学を出て大企業に就職して、
高額所得を得て結婚し、働ける限り働いてコロリと死ねば良い。
と本気で考えている人がいると、僕には信じられないけど、
同窓会などの動向を見れば、確かにそうした価値観は続いている。
それって政府や一部の利権者には、都合良いことであっても、
一個の命ある存在としては、少なくとも僕には愚かしくしか見えない。
せっかくこの世界に生を受けて、産んでいただいたわけで、
この奇跡的な命をどう生きるかと、考えてみないわけにはいかない。
すると人間の寿命なんて、いかに健康であろうと限られており、
せいぜい80年~100年を、どう生きるかでしかない。
この貴重で限られた時間を、お金や財産のために費やすなんて、
そんな愚かなことをしようと、どうして思えるのでしょう。
ムヒカ大統領は、そこのところを迷いなく言いきって、
「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです」と言う。
僕もまったく同感で、その幸せが何であるかを知りたいと思い、
20代のすべてを、旅の日々に費やしてきたのです。
これこそ僕を僕たらしめている、大きな財産とも言えます。
宇宙の時間において、80年は決して長い時間ではなくても、
僕らにとって命の80年は、とても貴重な唯一無二の財産です。
この貴重な時間をどう過ごすか、それこそ真の豊かさと幸せのため、
世界と命の秘密を知るために、費やして悔いはないのです。
残る時間はさらに少なく、それでも僕の進むべく方向は、
揺るぐことなく、自分と世界の調和へ向かうしかないのです。