城端曳山祭り
妻の実家が城端なので、結婚以来毎年見に行く曳山祭りですが、
前夜祭に行くと、静かに庵唄が聞こえてくるのは例年通りでも、
なんとなく人出が多くて、ネームプレートを付けた礼服の人も大勢います。
聞けば曳山祭りの全国大会があるそうで、それがたまたま今年、
世界文化遺産に指定されてすぐなので、今年は賑わう祭りになりそうです。
城端の曳山は、曳山自体も世界的な目で見てさえ立派なものですが、
それ以上に文化的な価値があって、この祭りを維持するシステムもすごい。
井波のよいやさ祭りでも、前日の内に神様をお迎えして御旅所に泊め、
そこから様々な催しが始まって、祭日いっぱい神輿を中心に街中を練り歩く。
同じように城端でも、人が担ぐ御神輿が曳山に姿を変えるだけで、
基本的な手順や日程は同じですが、神様の泊まるところが井波とは違う。
城端曳山の神様は、山宿(山番)と呼ばれる家に泊まられるのですが、
このお宿は一般の家なので、その準備が大変だと聞いています。
・山宿に選ばれた家は家屋の外壁や内装、庭などの修繕・補修をし、調度品などを揃える。
・部屋の襖や障子から敷居までをはずし、すべて畳だけの続き座敷とし畳はすべて新調する。
畳は縁が入り口から奥へ一直線になるよう並べるが、この並べ方は神様を迎えるためのもの。
・続き座敷となった部屋の左右の壁一面に屏風を並べるが、壁に沿って一直線に立てめぐらす。
・御神像を安置した2階部分は家人が踏み込まないように畳を外したり、ロープなどを張る。
・山番の主人は身を清め、新しい下着と寝着を着用し、御神像を安置した座敷で一夜を共にする。
火事・地震等が起きたら直ぐ御神像を担いで持ち出せるよう、御神像に縄を掛けして就寝する。
こうした山宿選ばれる主人は、一生に一度だけの名誉なこととされて、
城端独特のしきたりが多数あって出費も多く、基本的には資産家が担ってきた。
今ではしきたりも緩和されたと聞きますが、宵祭りの御神像を見て歩くと、
上記の約束事はしっかり守られているので、これは大変なことだとわかります。
さらに書き留めておきますと、ぎゅう山と呼ばれるこの大きな曳山は、
現在でこそ広い本通りを進むわけですが、昔はもっと狭い道路だったのです。
曳山が回るもう一本の裏道を見れば、表通りもちょっと昔には同じ広さで、
この狭い道を道幅ぎりぎりに曳いたところで、直角に曲がるわけです。
ギュウギュウと大きな音がして、それがそのまま“ぎゅう山”と呼ばれたことは、
想像に難くないし、昔人の素朴な驚きと“してやったり”が伝わってきます。
さらにこの祭りのもう一つの大きな魅力が、夜の仄明い中で聞く庵唄の街流しで、
日中には暑くなった5月の宵に、心地よい風と共に肌をくすぐるのです。