社会は変らない?

イメージ 1

たとえどんなに理不尽であっても、社会の本質は変らない。
それをまず徹底的に教え込んでおかないと、甘い期待が頭をもたげ、
もしかすると、もう少し良い社会になるのではないかと思ってしまう。
なにしろかくも大勢の人が関わって、この体制を維持しながら、
さらに強固にするために働いているのだから、簡単には動かない。
簡単でなくても可能性はある、等と思わないように教える必要がある。

例えば三権分立なんて、憲法に書いてあるだけの嘘っぱちで、
末端では本気で議論されることも、上層部では皆が繋がっている。
それが悪いことばかりとは言えないので、覆す必要も感じずに、
気がつけば何世代にもわたって、社会の層を形成してしまうのです。
相対的貧困なんてものがあるとすれば、本質を知らない人が、
表面的な現象を見て、何か対処法があると思うときに認識される。

認識して問題提起すれば、何らかの対処方法が考えられますが、
それは表面的なことであり、ほとんどの人は暗黙の内に知っている。
生まれながらと感じるか、自己責任と感じるかはそれぞれだけど、
トップは繋がっており、誰でもその位置につけるわけではないのです。
ある種の強力な権力志向だけが、そうした地位を押さえ続けるので、
いかに表面的な社会が変ろうと、社会の本質は何も代わらない。

何で今更こんなことを書くかと言えば、理想を持つことは大切だけど、
自らの理想に溺れていては、自らの現実を変えることが出来ない。
自分が今何者か、何を望み、どうなりたいのかを考えるときに、
確固たる体制の価値観を利用しないと、何も出来ないと知る必要がある。
こうした認識を出来た者だけが、自分は何をすればいいか理解して、
なすべき努力を経て、なるべき人になっていくしかありません。

そしてうまく上層部に食い込んだとして、その時にもう彼は彼でない、
巨大なシステムの強固なパーツとして、不自由と権力を手に入れる。
この構図は100年200年では変らないけど、千年二千年でみるなら、
何かが微妙に変っているような気もするのが、興味深いところです。
日本であれば、明治時代も江戸時代も同じような権力構造だけど、
平安時代弥生時代を見れば、少しは何かが違っている気がするのです。

そんな気の長いことを考えていては、何も出来なくなってしまう、
そう思えればいいのであって、社会が変らない中で自分を変えていく。
本気でそう思うことが出来れば、自分が何をすればいいかが分かり、
人生を無駄にしない、納得のいく生き方が出来るかも知れません。
しかし実のところ、それで何が得られるかはたかが知れているので、
時代以上に命と理想を繋いでいくのが、人生の正しい在り方と思います。