人生を自由に生きる!

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沖縄航路の船上から見た朝日

4月になって、大勢の人が新しい肩書きを持ちます。
高校生の場合は、進学か就職かに大別されますし、
大学生の場合は、どこへ就職するかが一大関心事になる。
そして社会人の場合は、肩書きがどうなるかが大切で、
異動や転勤で、極端に職場が変わったりもします。
ただそれらはいずれにしても、既製品のようなもの。

こうした既成進路とは違う、あるいは外れてと言うか、
自分独自の道を探す人も、人間にはけっこういる。
はじめから特殊な才能や環境に恵まれた、アーティストや、
親の七光りで、並の人とは違う道へ進む人もいますし、
特殊な病や事故事件によって、進路が決まる人もいるでしょう。
だけど特別な環境にない人でも、進路は自由であっていい。

多くの人が常識だと思っている、高校生の進路でも、
実は進学か就職かの単純な選択ではない、別の道がある。
それは政府も認めていることで、たとえば公共の施設として、
地域若者サポートステーションなど、施設もあります。
こうした施設は、最終的には就労支援機関として、
曲がりなりにも若者を、就職させようと目論むものです。

しかしさらに自由に考えれば、果たして進学するのか、
最終的に就労を目指すのかまで、自分で考えることも出来る。
そこまで考えるには、人類の歴史や経済の仕組みなどを、
溺れることなく俯瞰的に見る、新たな視点が必要になります。
進学するとか就職することで、組み込まれていく社会の仕組みを、
どこまで良しと思っているのか、考えてみても良いでしょう。

僕の場合は、そうしたことを考える機会が二度ありました。
一度目は学生の時で、高校時代にジョン・レノンを知り、
また映画の魅力に惹かれて、そうした仕事をしたいと思ったとき。
大学へ進学したのは良いけど、就活をする気がしない。
若さの未熟さもあったでしょうが、何かが違うと思いながら、
旅を始めて、そのまま20代は就職しなかったのです。

どちらかと言えば、日本や海外の島々や僻地を訪れ、
たいした産業などないところで、したたかに生きる人を見た。
人間は思っていた以上に、自由に生きられるのだと知って、
それなら自分はどう生きたいのかが、最優先の課題になった。
一人旅を続けながら、多様な人の生き方を知ることで、
あらためて、お金や肩書きに囚われない生き方を考えたのです。

蓼科の保養地で、別荘やホテルの管理人をしてみたり、
ロタ島の開発に誘われ、しばらく酋長の家に居候したり。
やるだけやって、これが限界かなと思ったときに、
バイト先の会社の社長から、就職しないかと誘われました。
願ってもない好条件で雇われ、13年間をそこで勤め、
社長が亡くなってまもなく、会社を辞めることにしました。

すでにバブルも弾けて、新たな時代が始まっており、
僕は人生で二度目の、この先どう生きるかを考えたのです。
いろいろありましたが、最終的には今の砺波平野に戻り、
自然に近しく生きる中で、問題を起こさない生き方としての、
自然農に出会ったことで、今の暮らしが始まりました。
そして家族を得て、今も自由に暮らしています。

気がつけば、長い人生で就職していたのは15年間だけ。
ただその15年間に、バブルの時代があったことで、
いくらかの蓄えを出来たことは、幸運だったかも知れません。
だけど大切なのは、人は最終的に自由でしかないってこと。
認めたくないものには所属しない、なるべく関わらない、
自分が認めて愛せるものを、大切にして生きるしかないのです。

この真実をどこまで生ききれるかが、人生の醍醐味なのです。