江ざらい

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富山弁と思われることばの一つに、「江ざらい」があります。
田んぼのある場所ならどこでも、今では水路が整備されていますが、
この水路が冬のあいだ雪に埋もれ、土砂やゴミで通りが悪くなっている。
これをきれいにして、新しい年度の田んぼ作業に備えると言う、
田園地帯にとっては、欠くべからざる大切な清掃作業なのですが・・・

なにせ富山県内の平地であれば、どこにでも田んぼがある状態で、
これらの田んぼがすべて、なにがしかの水路で繋がっている。
となれば水路は全部清掃する必要があるけど、いかんせん人口が減って、
特に働き盛りの若い人が減っているから、江ざらいは年々大変になっている。
農村地帯にあっても、すでに農家ではない家が増えているからと言って、
農家だけでやるには、あまりにも地域の環境に密着した作業なのです。

僕にも使っている田畑が三カ所あって、春先の手入れはしますが、
共同作業としての江ざらいは、頼成学びの場の一カ所だけでやっている。
ただし街中にも側溝はあるので、この江ざらいも年に一回あるので、
合計二カ所で江ざらいに参加している、と言うのが実情です。
しかし高齢化と担い手不足によって、この作業は年々厳しくなる。

本来はそれぞれの集落の住人が、自治会や集落の集まりで日を決めて、
全員参加でやらないと、とても維持していけるものではない。
ところが近年この地域に移住する人の中には、共同作業に協力しない、
都会的な感覚でやってきて、自然の良いところだけ享受したい人がいます。
地域での人の繋がりが、そこに暮らす人々を豊かにするのは確かでも、
そこには相応の役割があるので、これを熟さなくてはなりません。

たかが江ざらいと言っても、ここから様々な繋がりがあって、
春祭りや秋祭りの共同作業や、四季折々の年中行事が繋がっている。
これらすべてに参加する気がないと、田舎暮らしはスムーズに行かないし、
人間関係だけではなく、せっかくの田園そのものが維持できません。
田畑のある場所で暮らせば、農作業しなくても共同作業が求められる。

「郷に入っては郷に従え」の教えを守り、先人の教えに従うのは、
一見理に叶っているようでいながら、そんな時代ではないとも言えます。
それではどんな時代なのかと言えば、同じ田園地帯に住んでいても、
農作業に関心のない人がいるなら、その人たちには相応の負担をしてもらう。
人出を出したくないなら、その他のことで負担をしてもらう必要があって、
そのあたりの新しいルール作りが、必要な時代になっているのです。

たくさんの土地を所有すれば、その広さを管理することが必要だし、
自然豊かな土地に住みたければ、自然を手入れする必要も出てきます。
そんなことをすべて他者に押しつけるなら、やがて美しい田園は失われて、
荒れた自然の中で暮らすことを、余儀なくされると言うことです。
せっかく整備された田舎をどうするか、みんなで考えたいところです。