疲弊した社会
高齢化は寿命が延びたことだから、おめでたいことだとして、
夫婦の半数がセックスレスだと、統計的にも明らかになっており、
それどころか結婚前の男女さえ、セックスしないカップルが増えている。
僕らが10代20代だったころは、セックスに対しても興味津々で、
好きになった女とは、他に何も考えられないほどセックスに夢中になった。
セックスしない夫婦なんて、欠陥者としか思わなかったかもしれない。
この50年間に、何がどうしてこんなに人間が変わったのか、
源氏物語の時代から今日まで、性愛は人生の主要な要素だったのに。
それでは何が理由で、セックスレスが進んでいるかと見ていたら、
男の場合は「疲れていてその気にならない」が一番多い理由だったのです。
かっこよく颯爽と振る舞うビジネスマンが、勝ち組とされる一方で、
その勝ち組の人たちさえ、性欲も起きないほどに疲れていると言う現実。
その一方で、教師や公務員といった役職の人の性犯罪が増えている。
性犯罪する男が増えているのに、恋愛できないとはどういうことか。
どうやら恋愛には大きなハードルがあって、これをクリアすることが出来ず、
性欲だけはあるので、気がついたら犯罪的な行為に走ってしまうのかも。
多くの場合は収入の壁で、昔だって貧乏人はたくさんいたけど、
恋愛はどんな壁でも乗り越えるような、独特のパワーがあったのです。
ところが現代では、若者は昔ほどには暇ではなくて忙しいし、
一人の女にこだわるよりも、別の女を捜した方が早いと思っている。
じっくりと誰かを好きになり、その人と仲良くなりたいと思って、
その人のことを少しでも理解したくて、悶々とした日々を過ごします。
そうした日々の内に、誰でも良いのではなく「彼女」を抱きたいと願って、
恋い焦がれている自分を告白し、あまたの問題を乗り越えても成就し、
その情熱が二人の関係を繋ぎ、結婚生活へと繋がっていたのです。
この恋した時間の流れこそが、二人の関係を繋げているので、
そう簡単には熱も冷めないし、セックスレスにはならないのです。
だけど多くの現代の若者は、子どもの頃から楽しい物や事が、
たくさん満ちあふれた暮らしをしているので、渇望を知りません。
長いあいだ恋い焦がれるなんてこともなく、何でも手に入るし、
手に入らない物は忘れて、手に入るものに向かう方が楽しいと知っている。
こんな風に子どもたちを育てたのだから、恋い焦がれることを知らず、
手軽に手に入る物を手に入れて、何でも手に入るお金に執着する。
次々に欲しいものが出来て振り回され、忙しい社会生活をしています。
官主導の縦型社会ですから、官に繋がっていれば甘い汁が吸える。
男たちは競って官汁の奪い合いをして、それ以上に何が価値あるのか、
自分で価値を造ることなど知らないから、一人の女を全面的に愛するなんて、
まったく合理的でもないことに、夢中になるなんて考えられません。
僕らの時代なら、目の前にある最高の宝物さえ疲れる対象でしかない、
まして女の側からは、「面倒くさい」なんて思われていれば、
セックスレスの方が気楽で良い、と思うのも納得できてしまいます。
世の中に大量の物と事とお金があって、それを奪い合う社会とは、
もっと遙かに大切な何かを、どこかに置き忘れたようなもので、
そんな暮らしはどこまで行っても、安心できる豊かさはもたらしません。
だけどその本質的でないものを追い求める、偏執的な価値観は、
たくさんの歪みをもたらしながらも、多くの人が深くはまっている。
この疲弊した社会をどのように越えて、豊かな社会になれるのか、
僕らは早く、本当の価値を見定める必要があるのだと思います。