美しい田園雪景色
昨日の夕方、何気なく車を走らせていたら、
雪をかぶった田畑の向こうに、夕日が沈みました。
日常のあたりまえの風景が、とても美しかったので、
思わず車を止めて、撮ったのがこの写真です。
田舎の日々に普通にある、何処にでもある一瞬が、
切ないほどに美しく、心が豊かになっていく。
それにしても天然の美しさは、捕らえるのが難しく、
心にあるイメージと同じでもなく、やがて必ず失われる。
だけど一度この美しさを見て、知っているだけで、
どんな場所にいても、気配を感じ取ることが出来ます。
家に囲まれた町中の通りで、空を見上げた一瞬に、
山の紅と空の群青を見た瞬間に、夕焼けの美しさを知る。
それを見るために、わざわざ車を走らせることもあるけど、
うまく見られるとは限らない、気まぐれな天然の美しさ。
ただ知っているだけで、何かにつけ思い出すだけで、
ちょっぴり幸せな気分になれる、大いなる美しさです。
日本の四季折々の美しさに、雪景色は欠かせないし、
雪国には雪国にしか見られない、風景の美しさがある。
人間社会の美しさも、あるはずだとは思いますが、
自然の美しさの中にあって、調和の取れたものは少ない。
強引に聳え立つものより、さりげなく存在している、
自然の中に溶け込むものが、僕には好もしく思えます。
完璧に人工的な環境よりも、自然に左右されながら、
自然の息吹が感じられる、古い家が心地よい。
何よりも自然環境が大切で、環境を破壊しないで、
社会インフラを良く出来るなら、それは賛成できる。
だけど何をもって“良い”と言えるか、問題なのです。
現代のように、高エネルギーを使うことを前提で、
機密性の高い人工環境を、維持すればいいとは思えない。
むしろいかに低エネルギーで、必要が満たされるか。
その必要性さえ、少なくて足ることが良いことで、
多くても不足するのは、最初から間違っていると思う。
自然と調和して、質素にして美しくあることが、
人間として望む在り方であり、定めるべき方向です。
経済もなるべく小さく、持てる人は足りない人を助け、
全体として調和の取れた、こぢんまりが美しい。