赤心を問う
2017年も、3が日が過ぎました。
たった3日ではあるけど、僕にとっては、
何か象徴的な、意味のない日が過ぎた。
生き方を定めて、信を持って生きる、
それ以外にできることなど、何も無い。
そう分かっていながら、虚しさを感じる。
失望と落胆で始まった、20代でも、
真実を求め、なるべく妥協なく生きた。
何かが分かったつもりで、旅をやめ、
社会的生産と自己実現の、調和を求めた。
そしてまた、何かが分かったつもりで、
新しいフィールドを求め、田舎へ移住する。
世界が狭くなっている、と感じたから、
その世界が壊されないよう、活動もした。
自然農と出会って、直感的に思う所があり、
生き方を定めて、迷うことなく生きた。
それで世の中は、良くなったか悪くなったか、
何も変わらず、変わらなかったかの如くか。
10年経っても、20年経っても変わらず、
まるで慣性の法則で、人間社会も動く。
そう思って振り返ると、そうでもなくて、
うまく表現できない、何かが変わっている。
人々の様子が、微妙に変化しており、
理解する人も、増えているように見える。
行動で変化を示す人は、まだ少ないけど、
光や風の中に、確かな香りが息づいている。
香りは一瞬に消えるけど、記憶が残り、
何かが変わってきていると、確信できる。
圧倒的に変わらない塊と、変わる何か、
その方向性が問われ、人が動き出す。
それ以上のことは、まだ分からないけど、
自分にできることは、希望を失わないこと。
新しい時代が、良いものになるように、
その良いとは何かを、見失わないでいる。
地味で困難なことでも、必要であれば、
ためらわずに行動できる、勇気をもって。
言葉は勝手に踊り、身体の動きは遅く、
ばらばらになった暮らしが、そこに見える。
うまく調和すれば、良いとも言えなくて、
打ち立てるための破壊も、足りない世界で。
僕の本当の希望は、君の本当の希望は、
そんなものがあるのかないのか、僕は問う。