「大きな鳥にさらわれないよう」

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現状の人間に辟易しているせいか、少し違う世界を覗いてみたくなる。
そんなときに一番手っ取り早いのが映画、特にSF映画でしょうが、
たまたま妻が図書館から借りてきた本の中に、面白い一冊がありました。
「おおきな鳥にさらわれないよう」と言う、講談社発行の単行本で、
作者は川上弘美と書いてありましたが、僕はこの作家を知りませんでした。
ところがこの人は、芥川賞紫式部賞、谷崎潤一郎賞芸術選奨読売文学賞と、
日本の名だたる文学賞を取っており、この本も泉鏡花賞を取っているのです。

こんな有名な作家なのに、僕はどれ一つ読んだことがないのにも驚きますが、
そんなことは抜きにして読んでみたら、文章力と言語力が実にうまく絡み合っている。
人類を俯瞰的に見るような話しが、目の前の現実の中でその意味を問いながら、
僕らの日常とはいったい何なのか、改めて考えさせる面白い本だったのです。
人類の母親像と言うか、日本人の母親像そのものが孕む抽象的な母性と、
個々の人間によって生み出される、個性的な母性の監視で育つ子どもたちの姿。
それは具体的に自分たちの身の回りのこととしても、確かに存在しているものです。

有性生殖による繁殖によって数を増やした人類が、いくつかの理由によって、
見る間に減数して衰退する様子を、さりげなく書いてはあるのですが、
それが絵空事であるから、全体が大きな優しさに包まれたまま破綻なく終わる。
いや実際には滅びるとしてさえ、滅びること自体は破綻ではなく一環であることを、
この作品は見せてくれており、それはやはり現代の希望でもあるでしょう。
絵空事としての物語の中には、僕らが普段美しいと感じる多くのシーンが散らばり、
僕らが大切に思っていることや、幸せに感じることの断片もきらめいている。

何か不思議な作品ではあるのですが、この絵空事さが作者の内面に入り込んで、
読むものの内面と繋がり、同じ世界に住んでいることを感じさせてくれるのです。
同じ感性の人間として身近に感じながら、これだけの物語に連れ出されると、
自分までが作者と同じ絵空事の中にいるような、親しみまで感じます。
後で知ったことですが、作者はこの作品を書くのに「仮面ライダー」を参考にした、
と言うのも、なるほどそうした世代なんだなあ・・・といろいろ思い出しました。
東京で付き合っていた友人に、仮面ライダースタッフがいたのです。

読み終わってみて初めて、本当に読みたくなってくる不思議さがあって、
僕は映画を二度見はしないし、本も二度読みはしないのが原則だったのですが、
この本に関しては躊躇なく、読み終わってすぐに最初のページを開いていました。
SFならではの素朴さがあるとしたら、この本は本当に素朴なところで、
人類とは何か、愛するとはどういうことかを真摯に問い合っているのもいい。
僕らは大切な問題に対して、うまく答えられないからなのか問い出しませんが、
問わない限り答えはないし、進歩(変化?)もないのだと思わせるのです。