まちづくりに100年総合計画を♪

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哲学者である内山節さんのことは、よく知りませんでした。
ところが最近、あるメーリングリストの投稿文を読んでいたら、
気になる文章があって、それは内山さんの活動を紹介するものでした。
そのメールのタイトルは、
群馬県ではこのとき、百年計画をつくることにした」
と言うもので、メールの内容は以下の通り。

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 「新総合計画」は、普通は五年に一度つくられる。 
ところが群馬県ではこのとき、百年計画をつくることにした。
短い時間幅で将来を考えるのではなく、 遠い未来を見据えながら考えてみよう、
という発想である。 

といっても、百年後は、 かすんでしまうほど先のことではない。 
おおよそ、いま生まれた子や孫が高齢者になる頃のこと、 と考えればよい。 

面白かったのは、五年計画が百年計画に移行したとたん、 
基本的な発想が変わったことである。 

五年計画だとどうしても「つくる」計画になる。 
今日なら高度情報化社会をつくるとか、先端産業を育成する、 
高速交通網を整備しる、環境や弱者にやさしい風土をつくる、といったことである。 

ところが百年計画になると、 「つくる」ことのほとんどが意味を失ってしまった。 

なぜなら、百年後に情報がどのようなかたちで伝達されているのかも、
主要な交通手段が何になっているのかも誰にもわからないからである。 
そればかりか、情報という概念や、移動という概念自体が変わってしまっているかもしれない。 
今日の先端産業など、百年後には本や映像でしかみれないものになっているだろう。 
現在の発想で何かをつくってみても、 おそらく百年後には意味がなくなっている。 

このような議論をへて、「二十一世紀プラン」は、 
「つくる」計画から「残す」計画へと変わった。 
百年後の人々が破綻なく暮らしていけるようにするには、 
何を残しておかなければいけないかが計画の中心になったのである。 

自然とともに暮らす風土を残す。 
地域のコミュニティーを残す。 
暮らしをつくる手仕事を残す。・・・・。 

もちろん「残す」ためには、再生しなければ残せないものもたくさんある。 
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調べてみると、この文言は内山節さんが群馬県の「新総合計画」である、
「二十一世紀プラン」の策定に加わった時のはなし、
として紹介されており、直接本人が書いたものではないかもしれない。
それでも十分にインパクトがあるし、考える価値のあることだと思うので、
今日はこれをそのまま、皆さんに紹介しておこうと思います。

5年10年単位でさえ、時代遅れの事業ばかりやっている様に見える総合計画で、
いっそ100年単位で計画を立てるなら、本当に必要なものが見えてくる。
その時々の議員や市長にぶら下がった人たちの利益では無く、本当に市民が望むことを、
じっくりと考えたなら、今行われている計画の多くはほとんど意味をなさない。
何を作ろうと100年後には消えていく中で、その時何を残せば良いのかを考えれば、
今僕らが何をすべきかも、見えてくるのではないかと言うことでしょう。

さて僕らは100年後に、何を残せるのか、
何を残しておきたいかを、考えてみたいものです。
そして内山さんが言うとおり、そこには必ず、

○自然とともに暮らす風土を残す。 
○地域のコミュニティーを残す。 
○暮らしをつくる手仕事を残す。

があると思うのです。
それは僕らが自然農を営む理由であり、
これこそ「問題を起こさない生き方」の心なのです。