犯罪だって金次第?

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久しぶりに交通違反で検挙され、罰金6000円を支払いました。
比較的交通量の少ない道路で、携帯電話をかけながら走っていたら、
アッと思ったときは遅く、パトカーの警官と目が合ったのです。
左側の家影に停めて、携帯電話違反者に網をかけていたのでしょう。
僕は見事に引っかかって、しかも目と目が合ってしまったので、
言い訳のしようも無く、違反切符を切られてしまったというわけです。

このところ高齢者の困った事故以外では、脇見運転による事故が多く、
運転中にゲームをしていたり、カーナビでテレビを見ていたりする。
そんな実例の一つが携帯電話なので、摘発されたことを良い契機にして、
僕ももう少し、運転中は運転に集中するようにした方が良い。
その意味では、事故を起こす前に検挙されたのはありがたいことで、
罰金の6000円は、交通安全の祝詞料みたいなものでしょう。

横浜中区に住んでいた頃は、駐車違反で何度も捕まりましたが、
富山に戻ってからは、スピード違反と一時停止違反で捕まっている。
交通量が少ないのに道が立派で、ついついスピードが出ていたり、
見通しが良い交差点で、車がいないと一時停止を怠ったりしたのです。
そして今回の携帯電話は、確かに危ないことだと分かっていても、
どこでも使える携帯電話を、つい運転中も使ってしまっていた。

これはやっぱり危ないことで、飲酒運転と同じようにやめたいし、
同じようにカーナビのテレビも、運転中は見ないようにしていたい。
そして一番危ないと思っている居眠り運転も、眠いときには車を停めて、
無理に運転を続けることは、やめるように心がけているつもりです。
交通事故って誰にでも起きるし、どんなに運転がうまい人でも、
注意力が散漫であれば、事故にならない方が不思議ってものでしょう。

・・・とここで思い出したことを一つ、書いておきましょう。
毎回罰金を支払ったときに思うことですが、誰でも同じ金額なのは、
一見平等のようでいて、よく考えてみると不平等な気がするってこと。
僕のように、月々12万円そこそこで暮らしているものにとって、
交通違反などで支払う12000円は、生活費の1割にもなる。
だけど毎月60万円使う人にとっては、あまり痛くも痒くも無い。

これって暗黙のうちに、お金さえたくさん稼げば何をやってもいい、
大概の犯罪だって同じで、罰金を支払えば罪を償ったことになる。
僕よりも少ないお金で暮らしている人だって、大勢いるわけですから、
そんな人にとっては、交通違反の罰金だって死活問題になるけど、
年収何千万の人には、ちょっとお金を払えば済むことなのです。
どこかひどく不平等で、何か間違っている気がするのは僕だけか?

犯罪にはそれぞれ罰金の上限も、定められていると聞きますから、
どうせ罪を犯すなら、上限以上のお金を稼げば良いという話しでしょう。
1人殺せば殺人でも100人殺せば英雄・・・、と同じことで、
1万円だましとれば詐欺でも、1億円だましとれば偉人にさえなる。
量に関係なく質で生きていれば、関係ない話しではありますが、
実社会は質など見ない、何でも一緒くたの平等が妙に危ういのです。