役に立たない富士通Win10パソコンから
WinXPがサポート切れになって、1年以上経った春に、
何不自由していなかったのですが、Win10に替えました。
すると、途中で7や8にしないまま突然10にしたのが、
何かまずかったのか、まったく使い勝手が悪くなりました。
いや単に使いづらいと言うよりも、使えなくなった機能が多くて、
本当に腹立たしくて、できるなら前に戻したいと思っている。
何が一番腹立たしいかと言って、勝手にバージョンアップや、
グレードアップが動き出し、使おうとすれば課金手続きが始まる。
古いソフトは使いたくても使えないし、インストールもできず、
何をしようとしても、有料課金システムに導かれる。
ふざけんじゃない!、と思って一切の課金を拒否していると、
そのせいなのかどうか、どんどん使えなくなってきました。
考えてみればこうした有料化は、パソコン以外でも見られ、
昔は無料で行われていたことが、何でも有料になって、
それで経済が潤ったとか、間抜けなことが当たり前になっている。
経済格差というのも、お金を稼ぐ人と稼がない人の差以上に、
何でも有料にすることによって、以前の暮らしが維持できなくなった、
いわゆる「お金化」によって、人工的に作られる格差が大きい。
1999年に発表された、NHK「エンデの遺言」によって、
僕らはお金の持つ根源的な問題に、否応なく気づかされ、
どうすればこの問題を解決できるか、真剣に考えたのです。
ちょうどバブル経済が終わって、会社経営に銀行が入り込むと、
世の中どこもかしこも、お金が中心の価値観になってきた。
お金が潤っていた時代より、無くなってお金中心になったのです。
お金の問題は、金融に金本位制度が廃止されて以来、
何らかの形で問題が起きることは、わかっていたことです。
だけどこれで利益を得る人たちは、巧妙に負の部分を隠して、
いいことばかり吹聴すると、多くの欲深い人が乗ってきたのです。
そしてインターネットが始まり、マネーゲームが始まると、
お金の量は膨大に膨らみ、お金は「悪の華」になってしまいました。
本来の人間性は失われ、サービスと裏腹に対話も失われて、
システムだけが闊歩する、無機質な合理化社会になったのです。
それを公平だと思う人は、すでに人間とは何かわからない、
数字と量によって、何でも判断できると思い込む人たちです。
こうした人たちが社会を実効支配して、お金で何でも手に入れるから、
お金が多ければ豊かだと思う、歪んだ人間が増えてしまったのです。
現代の象徴でもある、インターネットのパソコンは、
必然的に現代の価値観を反映して、何でもお金換算してしまう。
あらゆるサービスが、昔は結果として発生した手数料は、
現代では先に支払うのが当然になり、詐欺だって楽に横行する。
口車に乗せて説明さえすれば、責任だって果たされたことになって、
何だってありの、お金経済がはびこる時代になったのです。