笑っちゃえ♪

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昔から日本人は、曖昧な笑い方をするので、
欧米人には誤解されやすい、と言われています。
たしかに僕らは、楽しいときや愉快なときだけでなく、
何か失敗したときや、どうにもならないときも笑っちゃう。
自分も日本人だから、その感覚はわかるのですが、
どうして笑うのか、ちゃんと考えたときもあるのです。

まだ学生だったころに、アルバイト先で知り合った、
Kという友人がいて、その彼にはいろいろと教わりました。
あるとき僕が仕事に失敗して、笑っていたら、
どうして笑うのか?と、まじめな顔で聞かれたのです。
いわゆるごまかし笑いですが、どうしてかと聞かれると、
当時はうまく答えることが、できなかったのです。

そこで初めて、何故笑うのか考えたのですが、
僕らは確かに、奇妙な場面でよく笑う習慣がある。
例えば何かに失敗したときや、恥ずかしいことをしたとき、
ごまかし笑いや、照れ笑いというやつをやってしまう。
あるいは悲しいときや苦しいときさえ、何故か自虐的に、
笑って済まそうとする、不思議な感性があるのです。

笑う場面ではないけど、笑うしかない!って感覚は、
考えてみれば、演歌歌手を見ればよくわかります。
演歌は辛い苦しいことを歌にしますが、どんな辛い歌でも、
最後は必ず笑顔になり、笑って歌を終わるのです。
不思議と言えば不思議で、奇妙なことではありますが、
どんな苦しみも、にっこり笑って終わってしまう。

そういえば、ひょっこりひょうたん島の歌の中でも、
「泣くのはイヤだ、笑っちゃえ」と歌っている。
これはもしかしたら、仏教思想なのかもしれないけど、
辛いことも苦しいことも、恥ずかしいことも失敗も、
やるだけやったら、そんな人間だからこそ笑って受け入れる。
試合後のノーサイドのような、感覚があると思うのです。

もちろん何も努力しなければ、笑う気にもならない、
それはもっとも悲しい無感情で、問題にもなりません。
だけどやるだけやったら、どこかで自分の限界を知って、
ダメならダメで、笑って受け入れる感覚が大切だってこと。
命がけで生きるってことがあるなら、死も当然のこと、
受け入れる覚悟があってこその、負けて笑顔なのでしょう。

本来それは、命の重さを知ることでもあって、
大切なことが何かわかっているから、真剣にもなる。
そして真剣にやったことは、失敗しても重たいし、
真剣にやらなかったとすれば、それもまた重くて苦しい。
命の重みってやつは、捨てて生きられるわけでない以上、
重さに耐えてやるだけやったら、あとは笑うしかないのです。