この帽子
たぶんもう10年以上前になるけど、沖縄の石垣島で、
何気なく入った釣具屋で、この帽子を見つけて買いました。
それがとても気に入ってしまい、何年かしてもう一度、
この帽子を買って使い続け、手放せなくなったのですが、
去年も今年も、いくら探してもこの帽子は見つかりません。
何気なく入った釣具屋で、この帽子を見つけて買いました。
それがとても気に入ってしまい、何年かしてもう一度、
この帽子を買って使い続け、手放せなくなったのですが、
去年も今年も、いくら探してもこの帽子は見つかりません。
これほどシンプルな作りは、流行とは関係ないと思うけど、
もう作らなくなったのだとすれば、残念でしょうがない。
帽子のツバを見ると、「AQUA」の文字があるので、
ネットで検索したら、アクアコースと言うメーカーがありました。
だけどいくら調べても、この帽子を見つけることはできないし、
そもそも言葉ではない画像では、検索することもできません。
もう作らなくなったのだとすれば、残念でしょうがない。
帽子のツバを見ると、「AQUA」の文字があるので、
ネットで検索したら、アクアコースと言うメーカーがありました。
だけどいくら調べても、この帽子を見つけることはできないし、
そもそも言葉ではない画像では、検索することもできません。
もしもこのメーカーだとすれば、やっぱり古くなって、
生産しなくなったから、探せないのかなとは思っています。
しかし現代のように商品が豊かで、何でも手に入りそうなのに、
気に入った帽子の一つさえ、手に入らないのはどうなのか?
実は欲しくもないものが、大量に身の回りに溢れていて、
買いたいものより、買わせたいものを買わされている。
生産しなくなったから、探せないのかなとは思っています。
しかし現代のように商品が豊かで、何でも手に入りそうなのに、
気に入った帽子の一つさえ、手に入らないのはどうなのか?
実は欲しくもないものが、大量に身の回りに溢れていて、
買いたいものより、買わせたいものを買わされている。
そんなことを思いながら、あらためて今の時代を考えると、
知りたくもない情報に溢れ、欲しくもないものに溢れ、
やりたくもないことをやらされて、うんざりすることが多い。
中にはすっかり自分を失って、外からの情報だけで自分を作り、
それが自分だと思い込んで、あくせくしている人さえいる。
そんなことを思ってしまうほどに、個人が無くなっています。
知りたくもない情報に溢れ、欲しくもないものに溢れ、
やりたくもないことをやらされて、うんざりすることが多い。
中にはすっかり自分を失って、外からの情報だけで自分を作り、
それが自分だと思い込んで、あくせくしている人さえいる。
そんなことを思ってしまうほどに、個人が無くなっています。
ありとあらゆるものが豊かになった社会で、人の心は失われ、
あるいは忘れ去られて、マニュアルだけが幅をきかせる。
これが今の時代の本質のようにさえ、見えてしまうのです。
たかが帽子の話しから始まって、自分の身の回りを見回せば、
本当は何が欲しいのか、訳のわからない商品に取り囲まれ、
それを手に入れようとして、一生懸命働く人がいる。
あるいは忘れ去られて、マニュアルだけが幅をきかせる。
これが今の時代の本質のようにさえ、見えてしまうのです。
たかが帽子の話しから始まって、自分の身の回りを見回せば、
本当は何が欲しいのか、訳のわからない商品に取り囲まれ、
それを手に入れようとして、一生懸命働く人がいる。
次々に考案される新しいデザインではなく、僕はこれが欲しい、
10年前と同じこのデザインの帽子が、どうしても欲しいのです。
だけど今となっては、自分で作るかしなければ手に入らない。
世の中で言われる豊かさって、いったい誰のための豊かさなのか、
少なくとも自由な人の豊かさでは無い、と思ったりするのです。
10年前と同じこのデザインの帽子が、どうしても欲しいのです。
だけど今となっては、自分で作るかしなければ手に入らない。
世の中で言われる豊かさって、いったい誰のための豊かさなのか、
少なくとも自由な人の豊かさでは無い、と思ったりするのです。