気象情報にない大雨

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このところ、以前は熱帯か亜熱帯でしか見られなかったスコールが、
僕らが暮らす地域でも、当たり前に見かけるようになりました。
いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれるものも、その一つでしょうが、
そこまで激しくなくても、狭い範囲で強い雨がよく降るようになった。
これも異常気象と言って良いのでしょうが、それにしてもこの雨は、
いわゆる気象情報に出ないので、前もって準備できないので困ります。

今朝も予報では雨などないはずで、家を出るとき曇っていましたが、
気象情報の降水確率は20%となっており、雨の対応は考えませんでした。
午前6時頃に砺波市頼成の田んぼで、出水前最後の草取りをしていたら、
急に雨が降り出して、雨具もないので車の中へ一時避難しました。
ちょうどテレビで気象情報をやっており、氷見は晴れている様子ですし、
相変わらず予報では、呉西地区は雨など降らない予報なのです。

天気予報のお姉さんは、「砺波地方はおおむね晴れ」と予報しますが、
砺波市にいる僕の車の周りでは、次第に雨が激しくなってきます。
あきらめて井波へ帰る途中でも、雨は激しくなるばかりで、
あたりも暗くなって、道路を走る車はヘッドライトを点けています。
いったいこのどこが「晴れ」なのか、あきれてしまいますが、
氷見を映し出すテレビの映像では、確かに青空が広がっていたのです。

このくらいの局地豪雨では、天気予報どころか気象情報にも出ない?
しかしこれだけの雨が無視されるのも、やっぱり困ってしまう。
砺波平野全体で見ても、そうとう広範囲で雨が降ったことは事実なのに、
気象情報だけを見ていると、どこにも雨は降っていないことになるのです。
科学技術の発達によって、気象情報も飛躍的に精度を増しているはずなのに、
現実には追いつけないでいるのは、いったいなぜなんでしょうか?

過去の常識から見れば異常な気象が、当たり前になってしまって、
それが現実の気象情報に反映されていない、おかしなことになっている。
僕らは様々なニュースを疑ってみると同じように、天気予報だって、
言われたままに信じてはいけない、情報が信用できない時代なのです。
こんな時代を真面に生きるには、世間の常識よりも自分を信じ、
どんな情報も、情報は情報でしかないことを肝に銘じるべきでしょう。

単なるマスメディアの情報だけではなく、どんな情報も教えも、
鵜呑みにするのではなく、自分で考えて判断できるようにしたい。
そのためにはやはり、自らの五体と五感が正しく機能するように鍛え、
さらには考え方においても、自分の拠り所を持つ必要がある。
そして忘れてはいけないのが、いかに自分の考えが優れていようと、
そうではない考えを認め、多様性を持ち続けることが大切と言うことです。