情報過多は知を破壊する

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先日行われた、イギリスのEU離脱国民投票で、
離脱派が過半数を取った後、混乱が生じているようです。
投票所で離脱を選んだ人が、やり直しを求めたり、
離脱を先導した人が、情報の修正をしたりしている。
様々な情報を示して、離脱した方が良いと説いていた人が、
後になって、あれは少し誇張だったと言い出したのです。

情報を信じて選択し、投票した人は多かったでしょうし、
その数値にしたって、いくつものとらえ方があって、
何がどこまで正しいのか、にわかにはわからない。
そもそもEUとイギリスの関係が、どうなっていたのか、
果たしてどれだけの国民が、正確に理解していたか、
ほとんどの国民は、よくわかっていなかったでしょう。

国家規模の数値ややりとりは、一般の生活者には、
簡単には理解できないし、善し悪しを判断するのは難しい。
悪いところばかり強調して、批判をするなら、
聞いている人は、不安に導かれてしまうでしょう。
結局はどちらが良いと言うよりは、どちらがより強く、
不安を煽ったかによって、市民の選択が決まったように見える。

多くの人が一定の情報の基に、正しい判断をできるには、
皆同じ情報で、その情報を吟味し合える必要がある。
だけど現代のように、多くの情報が多様な環境から出ていると、
何が正しいかわからないまま、大きな情報に引きずられる。
ポピュリズムの一つの形で、こうして引きずられた結果、
あとで後悔するような行動を、知らずに取ってしまうのです。

悪貨は良貨を駆逐する、と言う言葉もありますが、
簡単に作れる情報は、簡単に作れる悪貨と同じことです。
大量に出回ってしまえば、回収不能なまでにはびこってしまう。
そこで何が起きているかと言えば、価値に対する麻痺であり、
次々に出てくる情報や通貨を、ひたすら追い求めるうちに、
それが正しいのかどうかさえ、考えなくなっている。

金融マネー経済になってから、お金の価値観は変わり、
その価値を何にも担保しないで、増え続けるようになりました。
総量が膨大になれば、以前と同じ量の通貨は価値が目減りし、
多くの人が知らぬ間に、相対的貧乏に陥っていくのです。
同じようにインターネット情報は、情報の価値を変えてしまい、
何が本当か嘘か、わからなくなってしまっているのです。

ある程度少ない情報であれば、個人が考える余白があって、
様々な経験と照らし合わせて、判断することもできます。
だけど次々に出る過剰な情報の中では、人は考えることをやめて、
ただ言われるままに判断する、考える間もない人になるのです。
少しくらい立ち止まろうとしても、圧倒的な量の前では、
相対的貧困さえ、絶対的貧困と同じになるのです。