町内で家解体がありました

イメージ 1

町内で、古い家の解体作業がありました。
僕が子どもの頃からあった、家の一つですから、
たしかに古いのでしょうが、さみしい気がします。
ただし今回は、遠くへ引っ越すわけではなく、
同じ町内の別の場所に、新しい家を建てて引っ越す。

普通に考えれば、人生働いて得たお金で、
老後に新しい家を建てて、暮らすのですから、
経済的には、人生の成功者なのでしょう。
古い家はこうして、きれいに解体するわけで、
誰かに文句を言われる筋合いは、全くありません。
だけど時代を考えると、少し疑問もあるのです。

経済規模が肥大した現代では、経済を抑制しないと、
そのしわ寄せは、必ず弱者の生活を苦しめる。
風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、
せっせと稼いだお金は、政府や企業を巨大化させて、
多国籍企業が増え、弱い国がいじめられるという話です。

そんなことを気にして暮らす人は、まずいないのですが、
結果としての貧困は、国連の大きな課題になっている。
国連が援助しても援助しても、貧困がなくならない、
むしろ増えている原因は、実は経済の拡大にあるとは、
よほど言いにくいのか、経済学者はなかなか言いません。
だけど実勢問題としては、大概知っているのです。

そんなことを思いながら、解体作業を見ていると、
年老いて新しい家を建てても、やがて空き家になり、
誰も住まなくなったときに、どうするのか。
古い家なら、住人がいなくなった時点で解体すれば、
きれいさっぱり、片付くと思うのですが・・・

僕らの町内の中で、僕らの班10軒だけは、
以前からも今も空き家はなく、古い家も残っている。
大雪が降れば危険だったり、強風が吹けば心配で、
心安らかではないけど、自分の人生のようで愛着がある。
あと20年もすれば、僕らは順次いなくなって、
子どもたちもどこかへ移り、我が道を開くでしょう。

願わくばお金中心社会ではなく、人間性を重視した、
暖かみのある社会になっていて欲しい、と思うのです。
そのためには自らが、お金に頼りすぎないで、
人の繋がりや公正を大切にして、暮らしていたい。
そう願いながら、残り人生を過ごしています。