鍵掛け宣言?

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写真のバスは、加越能バスの「南砺⇔金沢」路線バスで、
最近はやりのアニメが、ラッピングされています。
でまあ今日の話は、写真とは関係ないことなのですが、
最近僕らの町内では、「鍵掛け宣言」の署名が回ってくる。
「我が家は鍵を掛けます」と宣言して署名までするのですが、
僕はどうも、これは何かおかしい気がするのです。

ここに堂々と書くのも気が引けますが、実は我が家は、
長期で外出するとき以外は、原則として家鍵は掛けません。
隣近所が密接した町中の、長屋のような家並びに暮らしていると、
昔ながらの近所づきあいもあって、町内に監視の目がある。
しかも我が家は古い家で、命以外に取られて困るものもないから、
いちいち鍵を掛けて出かけるような、習慣もないのです。

しかし困るのは、「鍵掛け宣言」の回覧が回ってきて、
鍵を掛けている家は署名する、となると署名せざるを得ない。
なにしろ誰かが署名しなければ、わざわざ戸締まりのなさを公表し、
世間に知らせることになるのだから、それは勘弁して欲しい。
実際には鍵など掛けない家々も、署名が回れば署名するしかないけど、
これは考えてみれば、わざわざ嘘をつかされることになる。

しかもこれから高齢者が増えて、隣近所の目が必要になるのに、
鍵を掛けてあっては、様子を見に入ることもできなくなる。
プライバシーが守られない、なんてことを言う人もいるけど、
僕らのような貧乏人には、命くらいしか守るものもない。
普段からつましい暮らしをしていて、取る価値のあるものもなければ、
そもそもこのみすぼらしい家に、空き巣が入るとも思えない。

取られたくないものがたくさんある家なら、鍵でも掛けて、
取られないようにすれば良いけど、それだってなんだかおかしい。
僕が子どもの頃の町内では、誰も家に鍵など掛けなかったし、
どこにどんな人が暮らして、誰が病気かもわかっていたのです。
それが少しずつ「豊か?」な暮らしになって、戸締まりが必要になり、
鍵掛け宣言が行われて、人々の暮らしが見えなくなる。

こんなことを都合よく思う人は、どんな人なのか?
プライバシーも確かに少しは必要だけど、隣の住人が何者か、
いつ何をしているのかもわからないで、どんな暮らしができるのか?
なんだかおかしな時代になっている、と思わずにはいられないのです。
人は何のためにせっせと働き、どんな未来を作ろうとしているのか?
今ここにこそ、未来に求める暮らしを実現したいものですが・・・