今年も米は10種類だけど・・・

イメージ 1
今月の初めに、ようやく籾摺りが終わり、
自分で作った新しい米を、食べ始めています。
例年通りに、10種類の米を作りましたが、
そのうち7種類が古代米で、ブレンドにする予定。
だけどなかなか時間が取れなくて、まだブレンドできず、
こうして米袋に入れたまま、廊下に置かれています。

例年なら今頃は、七種ブレンド古代米として、
案内を出して、希望者に売っている頃でしょうか。
今年は農作業が遅れ遅れで、思うように進まず、
せっかくの大豆などは、カビで台無しになりました。
こんなことをしていては、いいはずがないし、
今の暮らし方を、見直す必要だってありそうです。

一番大切な家族を、本当に大切にできているか?
その次に大切だと思っている、自然農はどうなのか?
生きたいように、生きられているのかどうか?
この年になってまた、生き方を問われているのです。
言い訳はどうにでも出来ますが、距離を置いて見たときに、
自分は果たして、望むとおり生きられているのかどうか。

自然に、質素に、幸せに生きたいと思う、
たったそれだけのことが、できているかどうか。
そう考えたときに、このままではいけないような、
心に大きなストレスがあって、悩んでしまうのです。
ひとたび始めたことを、やめるのは難しくて、
目に見えない大きな力に、抗わなければなりません。

そもそも僕は、長い人生を生きてきた中で、
どの時期を見ても、自由な判断で生きてきました。
仕事はいつだって、納得したものを引き受けて、
自分で判断して、自らの裁量で切り盛りもしてきました。
大きなお金よりも地位よりも、やりたいことが優先で、
それが今年は、自分で判断できない仕事をしている。

判断できないと言うよりも、判断しては行けない、
何でも報告が優先で、人に判断を仰ぐのです。
いわば連絡係のような仕事で、それで責任者ですから、
何をやっているんだか、わからない役なのです。
そんな仕事だと割り切っていますが、そうとわかっていれば、
最初から引き受けたかどうか、今となっては言い訳です。

並べられた古代米を見て、自らを反省してみれば、
今年は何かを間違えた、との思いが募るのです。
今までと違って家にいないから、妻とも姫とも距離ができて、
心が通じ合わなくなったか、さみしい気もするのです。
来年度はどうするのか、春までには決めて、
自らの生き方を、正さなければならないのかも。