秋立つ畑
暦は立秋を過ぎても、暑い日が続いていますが、
畑の様子を見ると、やはり秋の気配が色付いてきました。
あまり手入れに行けない馬畑も、秋の実りが近づいて、
夏の盛りとは違った、実りの風情が膨らんでいるのです。
畑の様子を見ると、やはり秋の気配が色付いてきました。
あまり手入れに行けない馬畑も、秋の実りが近づいて、
夏の盛りとは違った、実りの風情が膨らんでいるのです。
手前の方から大豆、小豆、サツマイモがあって、
奥の方にはアマランサス、タカキビ、モチキビがあり、
右手奥には、エゴマが立ち並んだ姿も見えています。
このほかに夏野菜のキュウリ、ナス、トマト、ピーマン、
さらにはカボチャや、ズッキーニなども実っている。
こんなに豊かな畑ですが、手入れも行き届かないし、
せっかく実った作物の、収穫も満足にはできていません。
こうなることはわかっていた、とも言えますが、
十分な時間がないなかで、なんとか世話をしたからこそ
よくぞここまで育った、とも言えるでしょう。
来年の味噌の準備も、なんとかできそうな感じだし、
今まで頼成に植えていた、ニンニクやタマネギは、
今年の植え付けからこちら、馬畑で植えようと思います。
自分の家の回りに、自分の田畑があればいいのですが、
無いものをいくら望んでも、仕方のないこと。
今は米を作る田んぼもあって、野菜を作る畑もある。
僕はこの境遇に感謝して、大切に守ることで、
少しでも、問題を起こさない生き方に近づきたい。
心は広々と大地を馳せ、海を遠く深々と渡りながら、
どこまでも自由に、たましいを解放していきたい。
物は質素に大切に、必要なものだけを求め、
無用なものはなるべく遠ざけて、簡潔に生きたい。
環境破壊も少なく暮らして、水も空気も汚さないなら、
それこそ人々が皆平等に、幸せの基礎を築けます。
そんなことを考えて、今の暮らしを磨くのです。
僕が生きている間に、価値観が変わることはなくても、
未来を先取りする人たちが、少しずつでも増えてくるなら、
やがて必ず、新しい価値感の社会が育つはずです。
平和を唱えて戦争の準備をするような、二枚舌ではなく、
言葉と行動が一致する人が、重んじられる世の中に・・・