みずからのこと

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最近のニュースを見ると、国にも地域にも大きな動きがあって、
アベノ独裁は勢いを増し、社会の経済優先はますます進んでいるようです。
沖縄の米軍移設は辺野古しかない、と言い続ける人がいるし、
原発の再稼働も準備が進んで、まもなく現実のものになるでしょう。
そして日本を再び戦火に包む法律が、憲法を無視して制定され、
国家権力の暴走は、もはや誰も止められないかのようです。

僕が住む砺波平野でも、春に新幹線が動き出したと思ったら、
小矢部にアウトレットモールができ、砺波にイオンモールができました。
これらの大型商業施設は、選ばれた多くの人が知恵を出し合って、
練りに練って作られた、人を魅了する力に溢れているのです。
ひとたび足を踏み入れたが最後、僕らは好奇心に心を奪われて、
多大な時間と労力を奪われるに加えて、おカネも使ってしまうのです。

いくらおカネがもたらす弊害や、生きる意味を知っていても、
多くの人が知恵を絞った誘惑には、ついつい惹かれてしまうのです。
人間工学や心理学が巧みに利用され、仕組まれた罠だと考えれば、
これを無視することは難しいので、あらためて自分とは何かを考えるのです。
自分は何もので、どこから来てどこへ行くのか、と考えたとき初めて、
ほかの誰かが考えた仕組みや誘惑に、かまけていられないと気付きます。

みずからが半世紀を掛けて身に受けた、生き方としての自然農は、
世界の在り方や社会の在り方として、問題を起こさない暮らしを求める。
なるべく質素に暮らしながら、自由を大切にする生き方を求め、
自分でできることは自分で、家族でできることは家族でまかなって暮らす。
それで不足する分を、地域社会が助け合うことでおぎなえば、
国や国際社会の役割は、そうした人々の暮らしを守ることでしょう。

守るとは何よりも壊さないことですから、環境も平和も守るには、
この世界から破壊要因となるものを、少しでも減らす必要があります。
軍事力も大型重機や世界貿易も、なるべく少ない方がいいし、
これらが何かを破壊する場合には、悲惨なことが起きてしまいます。
古きを温めて新しきを知るのことわざ通り、何か新しいものを作るには、
今あるものを十分に温め、新しくすることの意味を知らなければなりません。

日々の暮らしで様々なことがあっても、毎年石垣島の平野へ行って、
無人島を浮かべた海が変わらず、そこにあることに意味を考えるのです。
50年の間にここで起きたことを思いだし、100年に心を馳せれば、
200年300年、そして千年の人の暮らしが見えてくるのです。
自分がここにいることの不思議を受け止めて、他者との縁に感謝して、
また来年も来たいと思う、これが僕の人生なのだと受け止められるのです。