望みなきにしもあらず

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 5月14日の苗床
 
館長園長の仕事を始めてから、1ヶ月半になりました。
準備期間を含めると、すでに2ヶ月以上この仕事をしており、
ようやく少し、仕事の内容も把握できてきたと思います。
予定外の出来事もあって、時間的な拘束も長いものになって、
休みもなかなか取れないような、ハードな勤務でもある。

勤務の厳しさ自体は、以前にも書いたとおりなんとかなりますが、
問題は農作業をする時間がなく、作業が遅れてしまうことでしょう。
実際に4月には、稲苗の種下ろしをするのが遅れてしまい、
5月になっても芽が出ないので、失敗したことを後悔しました。
4月は中旬が暖かかったので、その時期に種下ろしをした仲間は、
皆順調に芽が出て、しっかり成長していたのです。

種下ろしが遅れてしまった僕は、その後に気温の低い日が続き、
しかも今年の苗床は、いくらか日のあたりが悪い場所で、
さらに何度か水入れをしたまま、止めに来ることができませんでした。
種籾は水没しても平気ですが、これによってさらに温度は上がらず、
4月中は発芽もしないまま、僕は絶望的な気持ちになったのです。

苗作りに失敗したのであれば、どうやって苗を調達するか。
自然農仲間の余った苗をかき集めて、あるだけ植えることを考え、
あるいは営農組合から、購入することも考えたのです。
しかし当然ながら、営農組合から調達した苗で育てた稲米は、
農薬と肥料を使っていますから、自然農米にはなりません。

今年自分が食べる米は、それで良しとすることにして、
せっかく13年続けている自然農の、種籾を絶やしたくはない。
そこであらためて苗床の手入れをして、種籾の様子を見たら、
僅かに芽を出しているものが、いくつも見つけることができました。
これはなんとかなるかも知れない、とふと思い出したのが、
「望みなきにしもあらず」と言う、よく口にしていた言葉でした。

僕は自分の人生で、自由に生きることを選んだのですが、
実践することは容易ではなく、過酷な暮らしをしたこともあります。
そして絶望的な気持ちになって、神に祈ることさえありましたが、
命がある限りは決して絶望ではない、何かが出来るはずだと知ったのです。
自分に何が出来るのかを考え、実行すれば必ず道はひらけてくる。

久しぶりにそんなことを思い出し、今月に入って起きる時間を早め、
雨さえ降らなければ、夜明けと共に起きて農作業に出たのです。
そしてようやく苗床に芽が出てきたのが、今日の写真です。
まばらにしか出ていませんが、これを何とか育てて田植えすれば、
希望を絶やさずに、命を繋いでいけると思うのです。