寺と病院

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現代の人々は、お寺は死人のためにあって、
病院は生きる人のためにある、と思っているようです。
だけど先日会った人は、死にたければ病院へ、
生きたいなら、お寺へ行った方がいいと言います。
僕は病院は嫌いですが、そこまでは言えないと思いながら、
話を聞いているうちに、なるほどと思えてきました。

僕が最初に病院に疑問を持ったのは、富山へ戻って、
念のために体を検査したら、大腸ガンの疑いが指摘され、
これを摘出するために、手術を受けたときでした。
ついでに痔核摘出の手術も受けて、保険で手術代を支払い、
三日間ほどで、もとの生活に戻ったのですが、
この時になんだか、おかしな感じがしたのです。

東京で会社勤めをしていたときは、毎日が忙しくて、
万が一の時のために、医療保険は当然に思われたのです。
そして10年以上に渡って、医療保険代金を支払い続けて、
おかげで手術費用も、負担はなかったのですが、
考えてみれば、そのために膨大な掛け金を支払っている。
三日間を無駄にして、医療機関を設けさせただけで、
僕がどんな利益を得たのか、わからないのです。

手術を受けなければ、大腸ガンになって進行し、
命の危険に陥っていたかも知れない、のでしょうか?
だけど日本の医療費というのは、検査費が膨大に増えて、
ガン患者はあまり減っていないのは、どういうことなのか?
早期発見が大切と言いますが、ずっと発見されなければ、
僕はその方が、気持ちよく生きられると思うのです。

そう都合よくは行かない、と思い込んでいる人は多いけど、
病人は増え続けて、医療産業が大きくなるばかりで、
世の中から病人が減ることは、ほとんど考えられません。
どういうことかと言えば、医療産業は病人を作り出し、
これを財源として、さらに医療機器や施設を作り、
さらなる患者とその予備軍を、創作しているのです。

無茶苦茶なことを言う、と思う人は多いでしょうが、
世の中にこれほど医療費が増えて、病人は減らないのです。
医療が人間を健康にするのであれば、病人は減って、
健康な人が増えていいはずなのに、そうはなりません。
まして生き方を考えるときに、お寺なら相談にも乗るのに、
病院や医師など、まったく相談相手にもならないで、
ひたすら治療費や検査費を支払う、患者でしかないのです。

さてこんなことを考えていたら、世の中にはやはり、
僕と同じようなことを考える人は、確かにいるようで、
「患者よ、がんと闘うな」なんて本も、出版されています。
書いたのは医師の近藤誠さんで、ガン検診に意味はない、
と言い切って、医療界からは締め出されているようですが、
この医師を頼って来る人が、少しずつ増えているらしい。

もちろん数多くの医師の中には、本気で患者のことを思い、
一生懸命に治療している人だって、いるのでしょうが、
現代医療を構造的に見る限り、そんな人は数少ないのです。
子どもの予防接種から始まって、死に間際の様々な検査まで、
どうもそのほとんどは、ただ医療費を支払うだけの、
無用の長物としか、思われないのですが・・・