百年を生きる!

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北陸新幹線の開業を、まもなくに控えて、
北陸では、鉄道を巡るイベントが盛んです。
そんな中で、新幹線ではない北陸線のことが、
なんだか興味深く思われて、少し調べてみました。

東海道線が、新橋~神戸間全線開通したのが1889年で、
それから9年後の1898年に、金沢・高岡まで開通します。
当時すでに城端線の基になる、中越鉄道が営業しており、
高岡駅ができたときも、中越鉄道が先だったために、
駅のホームは、北陸線ではなく城端線が1・2番ホームで、
この番線は、今もそのまま続いているようです。

高岡駅ができた当時の様子は、わからないのですが、
金沢駅ができた1898年の金沢駅の写真を見ました。
それが今日の写真ですが、見ての通りで、
駅舎以外には何もない、草地のように見えています。
これが現在どうなっているか、知っていると、
あまりの変わり様に、うまく頭がついていきません。

そして2015年に、北陸線は役目を終えますが、
これは117年間に渡って、北陸地方の大動脈でした。
僕も兄も姉も、成人してから後は東京暮らしでしたから、
高岡から上野まで、直通の電車で往き来していたわけですが、
その全盛期には、直通列車が上下それぞれ7本ありました。

日中に特急白山1号、3号、5号、特急はくたかの4本あり、
夜行でも特急北陸、急行能登、急行越前の3本があったのです。
1975年のダイヤ改正から、1982年のダイヤ改正まで、
上下57本の急行や特急が走った北陸線も、平成になって、
上越新幹線が走り出すと、東京への直行便は減っていきました。
そして今回の北陸新幹線によって、JRではなくなるのです。

たぶん北陸線が走り始めた頃は、どこも未開の草地で、
平安時代の物語にあるような風景も、実際に見られたはずです。
それがこの百年で、それ以前の千年分以上に変わってしまい、
日本の原風景は、探さないと見られない貴重なものになりました。
こんなに急激に変わってしまって、人間はついていけるのか?

人間が作った社会の変化に、人間がついていけないはずがない、
なんて楽観的なことでは、時代を見誤ってしまうでしょう。
この百年の変化は、それ以前の千年の変化よりも激しく、
人の心を置き去りにして、物の時代になったのです。
この先僕らは、新しい時代をどのように作ればいいのか、
今から考えておかないと、取り返しのつかないことになるのです。