ありがとう 文太さん

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11月1日、翁長さんの応援演説をする文太さん
 
先日の高倉健さんに続いて、菅原文太さんがお亡くなりになりました。
同じ東映のトップスターだった人ですが、7年前から膀胱ガンを発症して、
3.11大地震の後は俳優活動をやめ、農業の傍ら平和活動をした人です。
最初からスターだった健さんの場合と違って、文太さんは遅咲きで、
仁義なき戦い」で一気にスターになるまでは、長く下積み生活をしており、
僕にはそんなところにも、親近感を感じる俳優ではありました。

文太さんの作品は、僕力的な感じで荒っぽい印象がありましたから、
僕は必ずしも好きではなく、あまり多くの映画を見ていません。
だけど引退後の暮らしぶりや生き方は、とても共感できるものでしたから、
彼の社会的な活動には、とても勇気づけられることが多かったのです。
自らの生き方をもって訴えた、無農薬有機野菜を広める活動と、
日本が再び戦争しないことへの活動は、多くの人の心に届いたはずです。

その文太さんがされた、先の沖縄県知事選での翁長さんへの応援演説には、
将来の子どもたちに戦争をさせたくない、強い決意が窺えるものでした。
その演説の途中からの全文を、ここに転載させていただきます。

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 政治の役割はふたつあります。
 ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。
 もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!

 私が小学校の頃、戦国少年でした。なんでゲートルを巻いて、戦闘帽をかぶって、
 竹槍持たされたのか、今振り返ると、本当に笑止千万です。もう二度と、
 ああいう経験は子どもたちに(させてはいけない)、子どもたちだけじゃない、
 あの雨のなか、大勢の将来大事な大学生も戦地へ運ばれて、半数が帰ってこなかった。

 今の政府と、本土の政府ですよ、仲井眞知事は、まさに戦争が起きること、
 戦争をすることを前提に、沖縄を考えていた。現知事は、今、最も危険な政権と手を結んだ。
 沖縄の人々を裏切り、公約をほごにして、辺野古を売り渡した。

 古い映画だけど、「仁義なき闘い」に、裏切り者の山守(やまもり)、覚えて
 らっしゃらない方もい るかな? 映画の最後で、『山守さん、弾はまだ残っとるがよ。
 一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その談でいくと、
 『仲井眞さん、弾はまだ一発残っとるがよ。』と、ぶつけてやりたい。

 沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家のものでは
 ありません。そこに住んでいる人たちのものです。 辺野古もしかり!
 勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ。

 まあそうは言っても、アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。
 韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな、手を結び合おうよ。

 翁長さんは、きっと、そのことを、実行し てくれると信じてる。
 今日来てるみなさんも、そのことを、肝に銘じて実行してください。
 それができない人は、沖縄から、日本から、去ってもらおう。

 甚だ短いけど、終わり
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ここで言われた一発残っている玉とは、沖縄県知事選のことでしょうが、
僕は沖縄の存在自体が、最後の一発になるのではないかと思いました。
福島を含めた内地の都府県が、次々に政府の懐柔に落ちていく中で、
沖縄は苦難の紆余曲折を経ながら、屈強な不戦の意志を示し始めたのです。
経済という名の屈折した球数がいくらあろうと、最後に残るのは、
二度と権力による戦争の犠牲にはならない、と言う強い意志の一発だと感じたのです。