三世代交流イベント
町内のイベントで、三世代交流会がありました。
なにしろ古い町なので、高齢化は余所に先んじており、
10年先を行く・・・、と挨拶されていたのですが、
どこの町内も似たようなもので、住民は高齢者が多い。
高齢者が多いのは、寿命が延びたってことですから、
ありがたい話なのですが、なかなか子どもが生まれない。
なにしろ古い町なので、高齢化は余所に先んじており、
10年先を行く・・・、と挨拶されていたのですが、
どこの町内も似たようなもので、住民は高齢者が多い。
高齢者が多いのは、寿命が延びたってことですから、
ありがたい話なのですが、なかなか子どもが生まれない。
僕らの町内は、今のところ50世帯ほどありますが、
小学生以下の子どもは、6人ほどしかいません。
子どもが独立して、余所で子育てをしているのなら、
それは仕方のないことで、悪いことではないでしょうが、
余所で子を作ることなく、ひとり暮らしが多いようで、
こうした人はやがて、独居老人となるでしょう。
独居で老人になるとは、どういうことなのか?
「幸せの経済学」に登場する、ラダックの人たちは、
先進工業国を訪れたとき、高齢者福祉施設を見て、
こんな哀れな人生を過ごしたくない、と思ったようです。
福祉がいくら行き届いても、幸せになるとは限らない、
人の幸せには、人の絆が必要だと知っているのでしょう。
しかしながら、絆は時として煩わしいのも事実で、
家を出て独立した人は、煩わしさから逃げた人が多い。
煩わしさから逃げていては、家庭を持つことはできないし、
家庭を持たないと言うことは、どうしても孤独になる。
消費化社会では、孤独をサービスでしのげるかのように、
様々な広告をしますが、それは無理というものです。
高学歴社会とは、会社人にはいいかも知れませんが、
人生を自分で引き受けて、自由に生きようとする人には、
あまり役立つことは教わらないし、学歴も無意味です。
それでも高学歴人は基本的に素直なので、広告宣伝を信じて、
たくさん稼げば幸せになれる、と思い込んでいる人が多い。
生き方にこだわっていては、会社人に向かないのです。
と言うわけで?、煩わしさから逃げてしまった人たちは、
身軽であるかわりに、幸せの重さも知らないのかも。
なんて思えるのも、僕自身が家族を得たからでしょうが、
三世代交流のイベントを見ても、あまりにも若い人がいない。
仕事と趣味に忙殺されて、参加できない人もいるけど、
そろそろ新しい人間関係を、考えるべき時代だと思います。