50年前から50年後へ

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ブログを書き始めてから、もう10年目になりますが、
この間にも様々なことがあって、今の生活振りは、
10年前には想像もできない、大きな変化がありました。
僕にとって一番の変化は、妻子を得たことですが、
この間には東日本大震災があって、原発放射能拡散がある。

放射能原発の危険性は、早くからわかっていて、
僕らは機会あるごとにそれを訴え、映画の上映会などして、
理解してもらうことで、原発を止めたいと思っていた。
だけど原発は次々に増設されて、ついには自然災害と共に、
取り返しのつかない、大災害となって今も続いているのです。

多くの人がようやく、原発や被曝の恐ろしさに気付き、
原発の再稼働に疑問を持って、国民的な運動も広がっています。
それでも人間より経済優先の政府は、再稼働を目指しおり、
来年にはいくつかの原発が、再び動き出すでしょう。
しかし人々の心に焼き付いた、原発や被曝の恐ろしさは、
地震津波の恐ろしさと共に、忘れられることはないのです。

この先10年を考えるとき、こうした自然災害と共に、
更に気掛かりなのは、国権の発動による軍事活動の再開です。
アベノ独裁は、取って代われるだけの政権の見通しがない中で、
自分の政策が認められているかのような、錯角を押しつけ、
対峙すべきところを誤魔化しながら、力を付けてきてもいる。
この危険さを知らずしては、日本の未来は危ういと言うことです。

10年間凍結していた、アメリカ軍の辺野古基地建設も、
アベノ独裁によって動きだし、10年後にはどうなっているか、
大きな争点となる沖縄県知事選挙が、いよいよ迫ってきています。
軍事力による周辺国との対峙も、現実味を帯びてきて、
10年後を考えるときには、避けて通れない課題となります。
こうした課題を、僕らは目を逸らさずに考える必要がある。

僕自身がすでに、物心付いてから半世紀以上を生きており、
50年前を振り返ることで、50年後を考えることもできます。
ちょうど50年前には、アラスカでM9.2の地震があり、
世田谷では大きな竜巻が発生して、450家屋が被害を受けている。
さらに新潟自身があって、26人の犠牲者が数えられていますし、
ベトナム戦争を目論んだ、トンキン湾事件があったのもこの年です。

南アフリカネルソン・マンデラらが、終身刑を受けたり、
品川勝島倉庫爆発火災では、19人の人が亡くなっていたりする。
と同時に、東京オリンピックがあったのもこの年で、
ビートルズの世界的人気が始まり、僕らも影響を受け始める。
マルコムXが活躍したり、アメリカで公民権法が施行されたりして、
世界は間違いなく、大きな変化に突入してきたのです。

新しい時代は、当然ながら僕ら市民が担っているのですが、
現代は情報過多でありながら、正しい情報はなかなか手に入らない。
そんな目隠しをされたような社会で、何をもとに判断するか、
と考えたときに、欠かせないものが各個人の生き方であり、
生き方が定まっていれば、何事も正しく判断できるはずなのです。

実際にせっぱ詰まった状況になれば、冷静な判断は難しいので、
まだ世間が穏やかであるうちに、生き方を見定めておく必要がある。
僕の場合は自然農との出会いによって、生き方は定まりましたが、
それぞれの人は、それぞれの出会いがあるはずですから、
個々の物語性も大切にして、自分の生き方を定めて欲しいのです。