連鎖する憎しみ

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今回もまた、圧倒的に強い軍事力の国イスラエルが、
ほとんど難民の寄せ集めのような、ガザ地区に侵攻した。
他国の話であれば、どんな新聞であろうとトップ記事でしょうが、
イスラエルによるガザ攻撃なら、「ああまたか」で終わってしまう。
そして空爆から地上部隊の侵攻により、多数の市民が殺される。

国連の人権理事会は、イスラエル軍の侵攻による犠牲者の増大で、
イスラエルを「強く非難」する、決議案を採択している。
人権理事会の議長が任命する、独立した国際調査団を派遣して、
「すべての国際人権法と国際人道法違反を調査する」とし、
「組織的で広範囲かつ深刻な人権侵害」を強く非難しています。

ピレイ国連人権高等弁務官は、理事会の冒頭演説において、
イスラエルが「戦争犯罪」を行っている恐れがある、と指摘した。
僕らもネットの情報を通じて、何が行われているかを、
かなり詳細に知っているけど、どうにも止める手立てがない。
イスラエルパレスチナの紛争は、止めどがないのだ。

もともとイギリスを中心とした、第2次世界大戦の勝利国が、
ユダヤ人にイスラエルの建国を約束し、今の地になったと聞きます。
しかしその場所には、当然以前から住んでいた人がいたわけで、
これがユダヤ教徒イスラム教との争いを生み、今に至るのです。
そして軍事力に置いて圧倒的に強いイスラエルが、ガザに侵攻する。

この構図はすでに何度もの中東戦争を通して、何も変わらず、
たび重なる武力行使による、多数の犠牲者が憎しみを生み出している。
親が死ねば子どもに憎しみが生まれ、子が死ねば親は相手を憎まずにいられない。
憎しみは連鎖して続き、親子の代まで続いているから止まるわけがない。
あたかもイスラエル人は、パレスチナの人々を平気で殺すかのようなのです。

すでに多くの政治家が、この憎しみの連鎖を止めようと努力したけど、
武力行使は終わるどころか、ガザでは化学兵器が使われてみた形跡もある。
世界はこの現実がある限り、平和など決して訪れないかのようだし、
平和とは、戦争と戦争の武力行使の合間にあるひとときの静寂に過ぎない、
と言い放つ人もいて、まるで戦争こそが人類の常態のように言います。

武力行使が最終的にどうなるか、旅客機の撃墜など単発的な事態から、
やがてイスラエルパレスチナのように、恒常的なものになる。
そうなれば憎しみの連鎖は止まらないから、武力行使はしてはいけない。
日本国憲法には、そうした事態をも見据えて平和主義が謳われており、
僕らは日本人として、世界にさきがけて平和の人でありたいと思うのです。